アルシングの誕生と「法律の岩」

アルシングの誕生

アイスランド史に於ける「定住の時代は」870年〜930年であるが、初期の定住者は彼らが必要とする以上に多くの土地を取得した。その後、彼らは後から移住し始めた者に土地を無償で分け与えたり、或いは売るようになり、定住者が増加した結果として居住密度が高くなった。定住者から産まれた定住2世の数もある程度に達し、比較的短期間のうちに国家としての様相を呈してきた。国家の歴史上、現在に至るまでいろんな人間が移民し、国家の一員となってきたわけだが、定住の時代以来常に大量の移民者が流入する事は無かった。そんな訳で、定住の時代にアイスランドに移住した人たちの主な特性が現代のアイスランド人の中でも尚勝っていると信じられている。ケルト系の血をかなりに継いでいるにも拘わらず、二つの国民が完全に混じりあって融解した後でも、北欧の言語と文化が優先されている。新しい環境、新しい地域状況そしてケルト人との混血の要因が社会的そして文化的な分野で自分たちだけの独自の道を進むというアイスランド人に特有の北欧国民性をもたらした。

定住者の間では家長を中心とする家族単位で営まれていたが、それはまた社会的な結束のバックボーンでもあった。定住者は1隻又は複数隻の船でアイスランドに移住したので、定住の初期においては特別な社会の仕組みや体制に対する動きはほとんど無かった。新しい土地での他者との関係は唯一偶々隣合わせに生活する事からのみ生まれたもので、彼らはお互いに完璧に見知らぬ者同士であった。ために、間もなく平和の維持と社会保障対策の為の規範と規則が必要となった。人々は直ぐにばらばらにいろんな地域部分に注ぎ込まなければならない努力への見返りと住民があちこちに分散しているゆえに交渉や法的手続きによる問題の解決は腕力によるものよりずーと望ましいということに気が付いた。独立した地域の首長はゴジと称されたが、首長ゴジの間でこうした社会的な機運が盛り上がり、論争や争いごとを解決し、誰もが尊重できる確かな規則づくりに同意するための法律を定め、そのための場所を決めることが必要とされるに至った。

定住がほぼ確立される少し前、先ず二つの地域でこのための集会(地方議会)が始まっている。ひとつはスナイフェルスネース半島のステイッキスホゥルムル近くのソゥルスネスで、もうひとつはレイキャヴィークの北にあるキャラルネス。その後、国中に地方集会が設立されていった。900年を過ぎる頃から、人々は全国の地方集会をひとつにまとめた全島議会、詰まりアルシンギ、国会を設立する可能性について考えるようになる。

930年に近くなって各地方議会の首長たちはウールフリョゥトゥルと云う名の一人の男をノルウエーに派遣する事に同意し、彼を代表とする派遣団はノルウエーに赴き新社会のモデルになり得る法律や慣習を学んで帰国した。アルシングで施行された最初の法律は彼の功績を讃えて”ウールフリョゥト法”と名づけられている。ウールフリョゥトゥルの乳兄弟であるグリームル・ゲイトスコゥルはアルシング設立の支援を増やし、同時に適切な場所を求めて国中を行脚した。

その結果、彼等二人は全島議会(国会)はブラゥスコゥガルにて開催されるべきとし、930年各地方の代表がここに集まり最初のアルシングを開いた。ブラゥスコゥガルは「議会平原」を意味するシンクヴェトリルと改名され、このとき、世界最古の民主国会と同時にアイスランド共和国を誕生させる事になる。ブラゥスコゥガルはソゥリール・クロッピーンスケッグルという男の個人所有の土地であったが、彼が自分の奴婢を殺し、その罰として彼のすべての土地はアルシングのための共和国所有地とされ現在に至っている。

キャラルネスで開かれていた地方議会の時代、それはインゴゥルブル・アルトナルソンの時代だが、往時は彼と彼の一族が強力な勢力と影響力をもっていた。もし、この時代にアルシングが誕生する事になったならその場所はシンクヴェトリル以外のところに決められたかもしれない。

シングヴェトリルを訪れるとわかるが、屋外議事堂としては最適な条件を揃えていると云える。広々とした平原とギャゥの一部に繋がるスロープ、それは演説をする者とそれの聴衆者が一同に会するに適しているからだ。

共和国の時代は1262−4年にノルウエーの支配下に入るまで続くが、シンクヴェトリルは共和国の国会として最も重要な役割を果たしている。

 

法律の岩

アイスランド共和国の時代は930年から1162年。この間、法律の岩を意味するログベルグ(Lögberg)がアルシング国会活動の拠点であった。アルシングの議長は法律を語る人ロースピーカーを意味するログソグマズゥルと称され、3年の任期でログレィエッタ (Lögrétta)と称される立法議会の選挙で選ばれ、共和国の唯一の給与所得を受けた。立法議会としてのログレィエッタはアルシングが有する重要なふたつの機構のひとつで、法的問題に絡む紛争の解決、法律の制定や廃止、法執行の免除や許認可事項などその機能は多岐多様に及んでいた。

共和国の法律を高々と布告するロースピーカーはそこに特別な場所を持つ。彼は法律をすべて丸暗記し、法律のすべてを3年に亘って暗誦した。しかし、いつの夏も彼は手続き上の規則を暗誦しなければならなかった。

「法律の岩」には誰でも進み出て、重要な案件についてスピーチしたり、重大な事件をニュースとしてリポートした。議会の開会や閉会の宣告もここでなされた。又、法議会による判決が言い渡され、会議の日時が確認され、法行為がもたらされ、更には他の国事に関するあらゆることが発表された。議会に参席している誰もが「法律の岩」から重要事項に関する自分の告訴を提出することができた。「法律の岩」で起きた出来事は後になって多くのアイスランド・サガ書に記述して残されている。

「法律の岩」の役割はアイスランドがノルウエー王に忠誠を誓うと盟約した1262年に消滅する。そのために、「法律の岩」の正確な位置については議論が分かれているが、次の2箇所が最も妥当なものだと指摘されている。

 ☆ハムラスカルズ小道の北に位置する丘八ットルりーンの頂の平らな岩棚説。

   旗竿が立っているところ。

 ☆高い岩壁を背にするアルマンナギャゥそのもの説

現在も進められている考古学調査により「法律の岩」の正確な位置がいずれ特定されるかもしれないが、なんら疑問の余地無くそれをピンポイントで特定する術は見当たらないとも云える。



Revised:12/05/28