火の国アイスランド…火山

アイスランドは世界で火山活動が最も活発な国のひとつである。およそ200の後氷河期の火山のうち、少なくとも30の火山はアイスランド移住が始まる紀元9世紀以降に噴火しており、その回数は 150と記録されている。過去1万年の間に火山活動は平均して一つの火山の噴火が終って5年後に起きている。火山活動(噴火)の形態は様々で、世界で観測されているほとんどの形態がアイスランドに存在する。

その火山形態は局地的に噴火する中央集中型噴火と溶岩が地殻の割れ目に沿って一連の火道(マグマ通路)から流出する割れ目噴火に大別される。

前者の中央集中型噴火には噴火形態と溶岩の科学的性質によって幾つかのタイプがある。ひとつはハワイアン・タイプの直径最大数キロに達する、液状の玄武岩質溶岩流による楯状噴火。斜面は緩やかな傾斜を有し、底面積が広いのが形状上の特徴。これに属する火山はアイスランドには約30を数える。その代表的なものがトロトラデインギャゥ(Trölladyngjá)、ケルリンガルデインギャゥ(Kerlinggardyngjá)、そしてシンクヴェトリル近くのスキャルドブレイズゥル山(Skjaldbreiður)である。アイスランドにおける楯状火山に言及すれば、有史になってから活動しているのは1963〜1967年の海底噴火によって誕生した新スルスエイ火山のみである。スルスエイの火口壁は最初のうちは火山灰で造られていたが、その後、溶岩が流れ蔽って、現在のような容姿となった。アイスランドの島そのものも約20〜25千万前にスルスエイと同じ形成過程を経て島ができあがった。

もうひとつは層状噴火 (成層火山)でコニーデ型とも称され、その代表格は富士山と云える。溶岩の流出は控えめながら溶岩を伴った火山灰が噴出し、高く険しい山を創り出す噴火。 ひとつの同じ火口からの複数回の噴火により、溶岩や火山砕屑物などが積み重なり形成された円錐状の火山だ。アイスランドにおいては、世界的に有名な活火山へックラ(Hekla)、1996年に大噴火したヴァトナヨークトルの 氷河底火山グリームスヴォトン(Grímsvötn)、アスキャ(Askja)、スナイフェルスヨークトル(Snæfellsjökull)そして2010年3月21日&4月14日に大噴火したエイヤフィヤットラヨークトル(Eyjafjallajökull)がその代表的なものだが、ほとんどが氷河で覆われている (アイスランドの氷河へ)。
アイスランドでは爆発火山もまた一般的。

 

以下、アイスランドの代表的な火山を紹介する。
ヘックラ火山 Hekla

レイキャヴィークから東へ120Kmの位置に聳える世界でも最も有名な火山のひとつ。 いわゆる成層火山で、中心火口からでた熔岩の流出と火山砕屑物の放出とが繰り返し交互に累積して形成されている円錐状の火山だ。標高1491メートル、その山稜の長さは約40qに達する。ショゥルスアゥルダールル渓谷の居住地を含む広範囲を壊滅させた1104年の最初の大噴火以来、ヘックラは少なくとも20回も噴火し、近郊の村落に計り知れないほどの多大なる損害を与え続けてきた。過去7千年の間にヘックラは5回の大割れ目噴火を起こしている。最大規模のものは4000年前と2800年前の噴火で、北部と北西部の土壌の中に往時の痕跡が残っている。特に2800年前の噴火では国土のほぼ80%が火山灰で覆い尽くされ、その量は約12立方qという膨大なものだった。その痕跡は遥か離れたスカンジナビア諸国の随所で見つけられている。
1947年3月の噴火では、その始まりごろには噴火煙が上空30,000mまで達したほどで、溶岩流は40平方kmを覆い尽くした。この時の噴火は13か月も続くものだった。1991年5月には、ヘックラの無数の小クレーターが噴火し、2ヶ月もの間溶岩を流出し続けた。ヘックラ火山のその後の噴火は,1980年、1981年、1991年、2000年と続く。最近では2001年2月26日18時頃に始まった噴火。同日の夜半には、山頂に沿って6−7キロの亀裂が走リ、円柱状になった水蒸気が15キロの高さまで立ち込め、火山灰はアイスランドで最も北に位置するグリームスエイ島にまで達した。専門家は活動が開始する前に−しかも30分以上もの充分な余裕をもって−噴火の警告をした初めてのケースとなった。 更に詳しく「ヘックラ」へ

 

カットラ火山(Katla)とグリームスヴォトン(Grímsvötn)
この二つに共通しているのは氷河の厚い氷の下にあること。氷河底火山の噴火は大洪水をもたらす。
南部アイスランドのミールダルスヨークトル氷河の下に隠れているカ ットラ火山は、世紀ごとに平均して2回の噴火を繰り返す活火山である。その中心部はアイスランド東部火山帯の東端に位置し、真直ぐ伸びた断層が交わるポイント上にある。地殻の隆起によって生じた中央山塊は標高1512mに達し、一部は厚さ200-700mのミールダルスヨークトル氷河によって覆われている。アイスランドに移住が始まって以来、カ ットラの噴火はほぼ20回を数える。最後の噴火は1918年10月で58年振りのもので、南部の沿岸は火山泥流が起こした大洪水による堆積物によって沖合に5qも拡がった。1996年10月に噴火したヴァトナヨークトル氷河下のバゥルザルブンガ山の噴火は氷河底湖グリームスヴォトンを溶解した膨大な量の水が、スケイザルアゥルサンドゥル砂州にかかる2つの橋を洗い流し、地上輸送におけるライフラインを分断してしまった(同年12月に再建された)。

 

アスキャ(Askja)

北東のハイランド地帯、恰かも地表が創造されたばかりのように草木が1本も生えていない内陸部の荒涼とした砂漠地帯にあるデインギュウフィヨットル連峰はいわば火山のコレクション地帯といえる。その最高峰は標高1510mのソルヴァルスフェットル山、そして最も有名なのがアスキャで、有史上、最も猛烈な爆発噴火をした火山。この最後の噴火は1961年で、大量の溶岩を流出させた。付近全体に真っ黒で巨大な凝結溶岩流や厚い軽石層に覆い包まれた古い溶岩流が見て取れる。1875年にはアイスランド最大の軽石噴火が起き、東部アイスランドの大部分が火山灰で覆われ、多くの農家が離村を余儀なくされ、アメリカに移住した人々も多い。この時、ヴィーティ火口を創造し、今ではアイスランドで最も深いオスキュヴァトンとなっている(水深217m)。

ラーカギーガル(Lakagígar)

代表的な割れ目噴火である。およそ25Kmの長さの火口列が続くラーカギーガルは、約百個もの別々のクレーターを持ち、1783年の復活祭の最中に始まったラキ山の大噴火では有史上世界最大の溶岩を流出した。およそ8箇月も続いた噴火により、ミールダルスヨークトル氷河とスケイザルアゥルサンドゥル砂原の間のおよそ600平方キロメートルを覆い尽くし、広大なエルドフロイン溶岩台地を出現させた。この噴火によって発生したガスや火山灰は牧草地を毒物で死滅させ、農業に壊滅的な荒廃をもたらした結果、アイスランド最悪の飢饉となり、当時の全人口の1/5に当たる1万人を超える死者が出た。噴火の影響は遠くヨーロッパに及び、大量の火山灰に覆われたヨーロッパでは著しい気候変化の所為で農作物を中心に膨大な被害を蒙ることになった。

 

ウエストマン諸島(Vestmannaeyjar)

最もドラマティックな最近の火山噴火は、ウエストマン諸島で唯一人が住む島ヘイマエイ(Heimaey)での1973年1月23日の夜間に始まった噴火である。迅速な救助作業と的確な情報のおかげで、約5300人の島民が数時間の中に、一人の死者を出すことなく、本島に移された。同年の5月まで続いたこの噴火で、町の半分が溶岩に侵され、残る半分も厚い火山灰で覆われてしまった。港と最重要な魚の加工工場とは海水で溶岩流の先端部分を冷やすというアイスランド人学者の思い切った手段(結果的に溶岩の流れを止めることになった)で辛うじて災害から守られた。噴火によって島はかなり大きくなり、港は大きく改善された。救助と復興作業は常に進められ、次第に多くの島民が大部分が改造された自宅に戻ってきた。

 後氷河期の溶岩がアイスランド全地域のほぼ10%を覆い、途切れのない溶岩平原は1880平方キロメートルにもなる広大なオゥダゥザフロイン溶岩大地。海底噴火は沿岸部沖合で、特にレイキャネース半島の南西部の海嶺で時々起きる。近年の海底噴火は、1963年11月に肉眼で観測され、3つの新島を誕生させた。その内の一つが残って、スルスエイ島(約2.4平方キロメートル)と命名された。噴火は2年以上に及び、植物発生や鳥類の棲息の始まりなどをテーマに世界中の多くの科学者の関心を喚んだ。

 

地震性火山:地震の発生は頻繁だが、災害の起きることは極めて稀。最大の惨事を引き起こした地震は、1784年と1896年に南部の低地部で発生したもので、多くの農場を荒廃地化させた。北部のエイヤフィヨルズゥルの村ダルヴィークは1934年の地震で半壊。1975年12月に始まった小規模の火山性活動の後、北部のクラプラ(天然の熱を利用した最初の大規模地熱発電所がある)付近の数年間にわたる断続的な噴火に続いて、数週間幾つかの地震が起き、1976年1月には北西部の漁村コゥパスケルに大損害をもたらした。

その最も典型的な例が世界的に有名なヘックラ火山。北海道の有珠山と同じようにほぼ5年の周期で小噴火を繰り返し、50年に1度は大噴火する。


Revised:10/04/21