ツーリスト・スポット徹底ガイド

   

南アイスランド
 SOUTH ICELAND   SUÐURLAND

★アウトライン 

 氷河、苔に覆われた溶岩平原地帯、温泉、真っ黒な火山砂地帯、そして緑が美しい酪農地帯……これらが南部アイスランドの代表的な風景である。特に、西に位置する地熱地帯クヴェーラゲルジから東のヴァトナヨークトル大氷河に至る広大な一帯はレクリエーション・ゾーンとなっており、カラフルな別荘やコテージが立ち並ぶ。 南部アイスランドの海岸は、他の地域と違って砂浜で、ストックスエイリ、エイラルバッキ、メルラクスホプンの港を除いて寄港地はない。そのため酪農が非常に盛んで農地も多く、国内で消費される乳製品のおよそ半分を供給しているほどで、沖合いのウエストマン諸島が漁業の中心なのとは好対照。ここ南部アイスランドも美しい自然や史跡が多く、広大な砂原、溶岩原、農地、活火山、死火山などバラエティに富んだ地形を誇っている。
ミールダルスヨークトル、エイヤフィヤトラヨークトル、ティンダフィヤトラヨークトルの3つの氷河に囲まれる形でソゥルスモルク自然保護区があり、美しい山々や樺の生い茂る谷間など、アイスランドを代表する景観を誇っている。主だった史跡の一つに数えられるスカゥホルトは、1056年〜1796年の長きにわたり司教管轄区として信仰・文化の中心地だった。アイスランドが誇るシンクヴェトリル国立公園内には旧国会アルシンギを始め、国を代表する史跡の数々がある。どこまでも溶岩原が続く同地には国内最大のシンクヴァトラヴァトン湖や巨大な亀裂性火山、活火山のヘックラ山、雄大なグトルフォスの滝、温泉に囲まれた間欠泉ゲイシールなど見どころはたくさんあり、訪れる観光客を飽きさせない。


■スポットガイド  

アゥルフタヴェル ショゥスアゥ ソルラゥクホプン マルカルフリョゥト
アルマンナギャゥ ショゥスアゥダールル ディルホゥラエイ ミールダルスヨークトル
ヴィーク シンクヴェトリル ドヴェルグハムラール ミールダルスサンドゥル
インゴゥルブスフィヤットル シンクヴァトラヴァトン ヌープススタズゥル ラーカギーガル
エイヤフィヤトラヨークトル スカフタフェットル ネーシャヴェトリル ランドマンナロイガル
エイラルバッキ スカゥルホルト ネスブーズ レイニスクヴェルヴィ
エルドギャゥ スコゥガフォス ハゥイフォス レイニスヒャットル
エルドフロイン スコゥガル ヒャルパルフォス ロイガルヴァトン
オゥファイルフォス ステインスホルトスヨークトル フィムヴォルズスハゥルス ロゥマグヌープル
ギーグヨークトル ストイング フルージル ヴィーク
キュルキュゴゥルフ ストックスエイリ ヘインギットル  
キルキュバイヤルクロイストゥル スヴァルティフォス ヘックラ火山  
クヴェーラゲルジ セリャランスフォス ヘトラ  
クヴォルスヴォットルル セルフォス ヘトリスヘイジ
グトルフォス ソゥルスモルク  
ケリズ火口湖 ソゥルへイマヨークトル  
ゲイシール ソゥルヘイマール(ýrdalur  
ゴーザランド ソゥルヘイマール(Grímsnes)
   

 

クヴェーラゲルジ Hveragerði

温泉の町そしての町として知られているクヴェーラゲルジは火山性温泉による熱湯を利用した温室栽培で知られる人口2,284人(08年1月現在)の小さな町。アイスランドでも最大級の高温地熱地帯のひとつであるヘインギットル中央火山地帯でパワフルな地熱地帯になっているゾーンの端っこに位置していて、町がある一帯の地下深くには裂け目や断層があり、アイスランドでも最大級の高温地熱地帯のひとつであるヘインギットル中央火山地帯から熱湯が流れ込んでいる。クヴェーラゲルジの地下の断層には深さ125mの地点に180℃の熱湯群が横たわる。

1929年、この地に初めて住居が建築された時以来、果樹や野菜を地熱利用のグリーンハウスで栽培することでこの町は発展してきた。地熱を利用したグリーンハウスがずらりと建ち並び、アイスランド最大のグリーンハウス・センターとなっている。近頃は野菜に加えて果樹や花の栽培も盛んになっている。アイスランドにおける地熱利用が実用化されたのは僅か70数年前のことで、その先駆けとなったのがクヴェーラゲルジ。現在では全国的にこのシステムが確立され、最も重要な天然資源のひとつとなっている。

町の背後には美しい山々に抱えられた谷や粘土質の岩石群の光景が展開され、蒸気を噴き上げる温泉からの熱湯が源水の一部となっているので「熱い川」を意味するヴァルムアゥ川が流れる。

80年にも満たないこの町の歴史だが、クヴェーラゲルジは技術的な進歩を続けながら発展を続け、住民は多くの目的のために地熱エネルギーを利用してきている。例えば、この町にある天然の温泉を利用した野外スイミングプールは国内でも大きな規模を誇る温泉プールのひとつだが、造られたのは第二次戦争よりも前というのは驚きでだ。環境保護の観点から地熱を利用したエネルギーの活用は今後ますます多くの分野で期待されており、その先駆けとなったこの町にはいろいろな計画が目白押し。クヴェーラゲルジHveragerðiHverクヴェールは高温の温泉を意味するが、町の右寄りはクヴェーラゲルジの町の名前の由来となった温泉地帯となっている。従って、この町の温泉に関わるあらゆる事象はすべて南アイスランドにおける最も顕著な天然のアトラクションといえる。

町の真北にはグリータ(Gríta)という間歇温泉がある(ただし、噴出の間隔はかなり長い)。

エデンはここの中心で総面積は4000平方`メートルにも及ぶ広大なもの。建物の内部はアイスランドの伝統的な木彫が施されており、中にはタックス・フリーの民芸品店、キャフェテリア、グリル、アイスクリーム・パーラー、フローリストなどがあり楽しく1〜2時間過ごせる。地熱温泉を利用した実験用グリーンハウスが併設されており、サボテンやコーヒーなどおよそ極北の地に馴染まないトロピカルなプラントまで栽培されていて大変興味深いところ。ここでのアイスクリームは名物で是非トライしてみては?

又、ヴェジタリアン・ダイエットや地熱泥風呂などを含む自然健康維持や治癒に役立つサナトリウムを備えた健康治癒管理センターがある。ここにはアイスランド自然健康協会が運営する健康リハビリ治療センターHeilsustofnun NLFÍ ( The Health and Rehabilitation)がある。ヴェジタリアン・ダイエットや地熱泥風呂などを含む自然健康維持や治癒に役立つサナトリウムが備わっている。毎年数千人もの人たちが自然健康維持管理、リハビリそしてリラクゼーションのために訪れている。

   

       エデン・グリーンハウス(クヴェーラゲルジについて;

「エデンは事業継続が難しい事態に陥り2008年末に閉鎖されました。新しい事業グループがコンセプトを改えて2009年5月を目途に再開を目指しています。それまではツアーはここをスキップします。あらかじめご了承ください。

 

 

エデン・グリーンハウス跡に新たな新しいエグジビション施設「イザヴェトリル」がオープンしました。古代北欧神話が誘う世界だ!

地熱温泉を利用した実験用グリーンハウスが併設されていたユニークな施設エデンは昨年末に閉鎖されたが、その跡地に、古代の北欧神話に纏わる展示をメインテーマにするユニークなエグジビション・センターが誕生し、2009年7月4日にグランド・オープンした。同センターの名称は「イザヴェトリルIðavellir」、ここでは数多の北欧神話の神々の中で特に尊ばれ、知られている神々である、北欧神話の主神で全知全能の神オゥジンÓðinn , 平和と豊作それに恋愛の神フレイFreyの妹で北欧一の女神の地位を得たフレイヤFreyja、ハンマー一撃で巨人を殺す勇士ソゥルÞórである。アイスランドの現代美術家、音楽家そして北欧神話の研究者が一緒になって産み出した展示内容で、古代の北欧文化遺産を生き生きと蘇らせている。

センターにはスーヴェニアーショップとレストランが併設されている。ショップの名前はイザヴァトラ・ギフトショップIðavalla。絵葉書やキーホルダー、書籍等のスーヴェニアから、数多くの若手現代デザイナーや工芸家による装飾品や陶芸品が揃っているほか、手編みのウール製品も豊富です。レストランのウリは素材の新鮮さ。北欧神話に登場する人物や著名な出来事に因んで名付けられた革新的なメニューがリーズナブルな料金で用意されています。レストランには古代北欧の偉大な詩人ヴォルスパゥVöluspáwoを讃えて設けられた特別室があります。壁には大きなタペストリ織りにも似た絵画が描かれています。

 

ヘトリスヘイジ Hellisheiði
 ヘトリスヘイジはアイスランド語で「洞穴がある荒れ地」を意味するがその名の通り荒涼とした溶岩台地で、ヘインギットル山Hengillの南に広がるリングロードが大地を縦断するように走っている。レイキャヴィーク側からへトリスヘイジに入って最初に広がる溶岩原スヴィーナフロイン
Svínahraunは5千年前に形成された古いものが中心だが表面の溶岩は1千年前の噴火によるもの。途中、リングロードは熱い温泉の谷を意味するクヴェーラダリールHveradalirの直ぐ近くを抜ける。レイキャフェットル山の南から南西寄りの斜面にある谷で、相当量の地熱が存在し、窓を閉めていても硫黄の臭いを感じるところ。近くにはムーデイなレストランがあるスキーロッジがある。クヴェーラダリールを過ぎた辺りには「改宗溶岩原」を意味するクリストニトクフロイン溶岩台地Krisutnitökuhraunが広がる。レイキャフェットル山の東寄りに横たわる長さ6.5kmのヘトリスヘイジでは最も新しい溶岩原だが、全島議会アルシンギでヴァイキングの多神教に代えてキリスト教を国教にする布告をした西暦1000年に誕生したことからこの名がつけられた。ヘトリスヘイジには標高574mのスカゥラフェットル山(Skálalfell)が聳えている。この山は頂附近からの眺望が良く、南アイスランドで最適なビュースポットのひとつとしても知られ、手頃なハイキングが楽しめるところでもある。

 

■ヘトリスへイジ地熱発電所:

ヘトリスへイジ地熱発電所はアイスランドではスヴァルセンギ(レイキャネース半島)、クラプラ(北アイスランド)そしてネーシャヴェトリル(南アイスランド)に次いで4番目の地熱発電所で、活発な火山系の中のひとつヘインギットルにある。この発電所における推定生産量は電気で300MW, 熱エネルギー(熱湯)で400MWである。ひとつが45MWのふたつの蒸気タービン(合計で90MW)が作動を開始したのは2006年12月のこと。産業界や一般家庭における電力や暖房用の熱湯への需要が今後ますます増加することを見込んで建設されたものである。

ヘトリスへイジ地熱発電所はスカルズスミ―ラルフィヤットル連峰とストゥラ・レイキャフェットル山の間に広がるヘトリスへイジ荒地の地熱地帯にあり、ヘインギットル火山の南の周辺に当たる。地熱地帯はヘトリスカルズ峠を境に上部と下部に2分されている。面積が広い方は調査の結果、発電所を設置することは環境影響上好ましくないと評価され、目下は狭い地域にある地熱エネルギーのみを利用している。南沿岸部から西はファクスアフロゥイ湾まで、北はエーシャ山とシンクヴァトラヴァトン湖まで、そして東はオールフスアゥ川までの広い地域に亘っての地下水調査によって結論付けられたもの。しかしながら、将来、このふたつの隣接している地域を繋げることによってこの地熱発電所は現在の生産量を遥かに凌ぐ量まで拡大できると見込まれている。このパワーステーションはほぼ完成間際で2009年5月より運転が開始され ている。

 

ヘインギットル Hengill
 レイキャヴィークから車で20分、広範囲の地熱地帯にあるほとんどが凝灰岩の山(一部灰色の輝緑岩と青鉛鉱を含む)。過去数回の噴火で隆起した火山で最も高い地点はスキエグ(Skeggi)で標高803m。温泉地帯が広がり、クレーター地帯でもある。見渡す限り、真直ぐ立ち昇る蒸気煙が空に向かって数十メートルの高さまで立ち昇り、ぶくぶくと泡立てる温泉の光景が見られる。アイスランドでも最大級の高温地熱地帯のひとつで幾つかの地熱ゾーンはエネルギー利用されている。

ヘインギットル・エリアの地熱活動は3つの火山系に関係している。少なくても、過去11千年の間に3回の火山噴火がこのエリアでおきているが最も直近の噴火は2千年前だ。

スキー場がありウインタースポーツやアウトドアライフの人気地であるが、現在では年間を通じてのリクレーションエリアとして知られるようになっている。温泉、クレーター、青々とした緑地、大小の川と湖など景観が変化に富んでいる事で絶好のハイキング地帯となっているからだ。たくさんのハイキングコースが整備されていて、その全長は125kmにも及ぶ。コースには一定の間隔でマップと標識板が置かれていて、標識に沿って周辺の自然や文化に関するポイントが分かるようになっている。山腹には野外温泉や泡立つ高温スポットがある。ここに近づくには決められた道を必ず歩く事。コースには難易度を示すマークが付いているので初心者から本格派まで幅広く楽しめる。ヘインギットル地域にはハイカー用の避難所が2箇所設置されている。

ヘインギットルは「アイスランドの地熱地帯と温泉」でも説明している「高温度地帯」である。地震が多発し、割れ目が開いたままの状態で維持され、多孔性の地層になって水を高温地帯に落とし流し、再び上昇させる道を作る。そのために、地震の際に新しい温泉が出現したり、場所を移動したりするのがしばしば起きる事になる。その結果、高温地熱地帯の様相はいつも変幻を繰り返す。ヘインギットルの地熱地帯は数十万年前に出現したものである。 ヘインギットルを中心とする地熱ゾーンはおよそ12平方キロメートルをカバーし、アイスランド最も広域に亘る地熱地帯である。

ネーシャヴェトリル Nesjavellir
 ヘインギットル山の裾野、シングヴァトラヴァトン湖畔に有る、アイスランドの代表的地熱地帯で海抜177mの地域。ヘインギットルの北と北東の斜面下には大量の地熱が存在している。ここには10〜12個もの試錐孔があり、中には2000mを超える深さのものもある。地下2000mでは地熱は350℃を超える。ここにはレイキャヴィークを含む首都圏の暖房を一手に賄うモダンな地熱発電所がある。アイスランド最大の地熱パワープラントである。シンクヴァトラヴァトン湖から流れ出た水が濾過され、地熱からの蒸気によって100℃まで熱せられ、高さ400mのヘインギットルの山稜ハゥフリーグル(Háhryggur)にある貯水タンクまで汲み上げられている。熱湯は50km離れたレイキャヴィークへパイプラインで送っており、レイキャヴィークの熱湯タンク・ステーション、ペルトランに到着時にもなお97℃に保たれている。

■ネーシャヴェトリル地熱発電所:

ここの地熱エネルギーの利用方の検討は既に第2次大戦後直ぐの1947年にスタートし、調査や計画が2年に亘って実施された。このとき、実験的に幾つかの試錐孔が掘られ、利用可能対象の動力や蒸気の科学的成分についてのどの程度のものかその評価がなされた。その後かなり長い中断があったが、1965年から1986年にかけて短い間隔での探査や調査が行われ、1987年になって愈々地熱パワーステーションの建設が開始され、そして1990年5月には定礎式を迎える。現在時点に於けるパワーステーションの処理能力は200MWtで毎秒1100リットル強に及ぶ熱湯産出。2001年6月には3番目のタービンが運転に入り、合計 120MWeの電力と300MWt(1秒当たり1800リットル)の熱湯をを産出している。

ネーシャヴェトリルは他のへインギットル地域と同様、人気のあるレクレーション活動地域だ。ここのパワーステーションを管理運営しているレイキャヴィーク・エネルギー公社はハイキングやホースライディングのルートをつくり、標識を立てるなどしてこの地域のアウトドアー活動を組織的に整理している。考古学的発見物、歴史的文化的所産が登録されており、ネーシャヴェトリルとオルブスヴァトン湖だけでその場所は375箇所に上っている。

ネーシャヴェトリル地熱発電所(パワープラント)の見学もできる。夏季は月〜土曜は9時〜17時、日曜は13時〜18時。冬季は事前アポイントが必要。(TEL:+354−480−2408、FAX:+354−480−3633、email: gestamottaka.nesjavollum@or.is。見学コースは通常レイキャヴィーク・エンルギー公社の紹介や熱湯産出や利用そして周辺の地質についてのビデオショーで始まり、レイキャヴィーク地域暖房システムやパワープラントの説明を受けた後、4階に昇って機器類を見学して終了する。見学料は無料。

ネスブーズ Nesbúð
 ネーシャヴェトリルに有るゲストハウス。全部で80室。夏は合計すれば135 km以上あるヘインギットル山の散歩道のハイキングやホース・トレッキング、冬はオーロラ観測やジープサファリーに、近頃人気が沸騰中のスポット。100人収容のレストランのほか、戸外には露天風呂気分が楽しめる大きめの温泉ポットが備わっていて24時間利用できる。2002年4月から工事関係者専用の貸切になっていて一般の利用はできなかったが2003年4月から通常オープンの予定。

 

★ケリズ火口湖 Kerið
 グリームスネス地区にある約3千年前の古いクレーター。火山の噴火により陥没してできた 楕円形の窪地に水がたまったカルデラ湖。長辺は270mで短辺は170m。火口の底は深さ55メートル で貯水の深さは周辺の地下水のレベルにより異なるが7m−10m。深緑色の火口湖の水面と赤褐色の灰と溶岩とでなる内壁面のコントラストが幻想的な光景を醸し出している。チャルトナルホゥラル(湖のある丘)と称される火山丘陵群の一部 でその最北端にある。ケリズの北東寄りには広域に及ぶセイジスホゥラルと呼ばれる別のより大きい火口群がある。グリームスネス地区の溶岩のほとんどはこれらの火口から流出したもの。 溶岩は6000年前のものだ。

クレーターの縁の小径を歩いて一周できる。小径の最も高い地点からは他の小さなクレーター等の良い眺めが楽しめる。夏にはここでコンサートが開かれることもある。 ここで初めてコンサートが開かれたのは1990年のことで、クレーター内の草が生えた斜面に観客用の席が設けられ、火口湖にゴムボートを浮かべて演奏された。2004年と2005年の8月にもより大きいゴムボートのステージで開催されている。

スカゥルホル Skálholt
 アイスランドで最初の主教管区があった所で、1056〜1796年のほぼ700年にわたって政治、宗教、文化そして教育の中心として権威をふるった歴史的な背景をもつ町。この間、1550年の宗教改革までに31人のカソリックの司教が、その後13人のルーテル派の司教が(合計44人の司教)がここで奉仕活動をした。現在の教会は1967年に全面的に建て替えられたもの。装いは新しくなったが、附近の住居や学校に通じるトンネル等往時の痕跡も残している。

ファクシー Faxi
サーモン・リヴァーとしても知られている清流トゥングフリョゥトTungufljótにある「馬のたてがみ」を意味する滝。落差はともかく川幅一杯に清らかな水が流れ落ちている。滝の左手の広めの平地にある囲いは羊のラウンドアップのためのもの。夏の間放牧されていた羊を追い込んでこの囲みに集める。アイスランドの田園風景に触れることができるシーナリーだ。

 

エイラルバッキEyrarbakki
南部沿岸のオールブスアゥ川の河口口に位置する人口550人の村。ここの港はかって1925年頃まで数世紀に亘って南部アイスランドの交易面での重要な役割を果たしていた。その後、エイラルバッキは交易の中心としての重要度を失う。替わって、19世紀の後半になってオールで漕ぐ漁船がこの港に増え始める。交易と漁業はこの村の主要産業であったにも拘らず、天然港としての条件はさほどよくなく、エイラルバッキ近くのオールブスアゥ川に橋が架けられた後は、港としての機能は失われほとんど利用されなくなった。

エイラルバッキはしばしば高潮洪水に遭い、1799年に起きた洪水では甚大な被害を受けたことで知られる。その後、洪水災害用の遮断壁(バリアー)が建てられ、20世紀の初頭には地域全体を災害から守れる体制が出来上がった。

この村で現存する最古の建物、1765年のフーシズ(Húsið)で、保護保存された木造住居としてはアイスランドで最古のもの。この村の主要産業はアルミニューム・フライパンの製造、海産物の加工業、アイスランドの刑務所もここにある。
ストックスエイリ Stokkseyri
エイラルバッキの東、肥沃なフロゥイ地区の沿岸にある人口462人の村。浜は黒砂のビーチで夏のシーズンには大勢のツーリストで混み合う。ビーチはかなりワイドで流木が随所に押し寄せる。ここにはちょっと変わった「スリーザル・コテージ」という名の博物館がある。18世紀後半から19世紀に漁船の船長をしていたスリーザル・エイナルスドゥッティル女史を記念して建てられたもので、当時においては勿論、女性の職業としては極めてまれなケースであった。この村には
シーサイド・レストランを意味する名前のヴィズ・フィヨルボルジズ (Víð Fjöruborðið)というローカル・レストランがあり、アイスランド・ロブスター料理で知られている。

ソルラゥクスホプン Þorlákshöfn
オルフスアゥ川沿いに位置する漁業の町で人口は1300人余り。かつては小さな漕ぎ舟ばかりの貧弱な季節港であったが、1973年のヘイマエイ島の噴火後に港が大幅に改修された結果近年急速な発展を遂げ、加工を含む海産業中心のモダンな港町となっている。更には、1998年にオルフスアゥ川にオゥスエイラルブルー橋が架かり、ソルラゥクホプンと南沿岸部の地域との交通が一気に増加した。この町とウエストマン諸島のヘイマエイ間はフェリー・ヘルヨゥルフルによって結ばれている。所要は1時間45分。

セルフォス Selfoss
クヴェーラゲルジから南東に8Km進んだところに位置するセルフォスは南アイスランド最大の町で人口はおよそ5千人(アゥルボルグ市の一部)。この町は、絵に描いたように美しい川オルフスアゥÖlfusáの自然堤防に沿って広がる町。町は1930年代、協同組合の市場が開設され、乳製品工場が設立されるや急速に発展を遂げることになった。オルフスアゥ川には大きな吊り橋が架かっている。最初の吊り橋は1891年に架けられたものだが、往時としてはアイスランド最大の建設事業規模を誇った。1944年に橋は崩壊し、現在の橋は1945年に新しく架け替えされたもの。町は1930年代、協同組合の市場が開設され、乳製品工場が設立されるや急速に発展を遂げることになり、現在、この町にあるチーズやバター、特産スキールなど乳製品工場や野菜などの市場は国内最大規模のもの。

ルフスアゥ川は「サーモンリバー」としても有名で、この近くのエイラルバッキとストクスエイリの両村は、サーモン・フィッシングの基地として、シーズンにはアメリカやヨーロッパから多くの釣り人が訪れる。町中には、スチームバス、ホットポット、ジム、サウナやサナトリウムが備わっている屋外スイミングプールもある。

インゴゥルブスフィヤットル山 Ingólfsfjall
クヴェーラゲルジとセルフォス間ののリングロードの路肩近くまでその裾を広げている標高551mの凝灰岩質の山。氷河期の中頃に誕生した山で、アイスランドに最初に移住し、定住したヴァイキング、インゴゥルブス・アルトナルソンに因んで名づけられた。インゴゥルブスはレイキャヴィークを定住の地として決心する前の一冬をこの山の南側の麓フィヤットルストゥンで過ごしたとされ、彼は山の頂上付近にある小さな閃緑岩質の塚ングホットルに埋葬されているという言い伝えが残る。フィヤットルストゥンには後にファームが造られたが18世紀には廃墟となり、現在、荒廃した農地跡は許可なく侵入できない地として管理されている。

ヘットラ Hella
平たい石を意味するこの人口620人のヘトラはセルフォスから肥沃な平原地帯を縫うようにリングロード(幹線道路1
号線)を南東に30Kmばかりのところ、ラングアゥ河の東岸に位置する。1927年に1件のお店が造られたのが町の始まりという若いコミュニテイである。ラングアゥ河を挟んだ対岸には堅い砂地に掘り下げられた洞穴が散在している。その中には判読できない碑文のようなものが記されており、恐らくアイルランドの修道士の手によるものと想定されている。

★シンクヴェトリル国立公園  Þingvellir

レイキャヴィークから北東へ約50Km。西暦930年世界で初めて民主議会が開かれ、憲法を制定し、議会民主政治を確立した聖地。世界最古の国会アルシンギはその後1798年まで途絶えることなく毎夏(6月)に召集され開催され続けていた。アイスランドがそれまでのヴァイキングによる多神教を棄て、1000年、キリスト教を国教とすることを決めたのも、1944年に独立宣言して現在の共和国を創設したのもここシンクヴェトリルである。1928年、シンクヴェトリルは国内最初の国立公園に指定されている。そしてシンクヴェトリルは2004年7月7日、中国の蘇州で開催された世界文化自然遺産保護に関するユネスコの世界遺産委員会においてユネスコの世界遺産に登録されている。

シンクヴェトリル国立公園を更に有名にしているのが地球の割れ目とも云われる壮大なギャゥを目の当たりに観察することができることだ。アイスランドは大西洋中央海嶺の延長上にあり、海嶺のてっぺんには幅数10kmの地溝帯がある。この地溝帯は地球の内部から上がってきたマントル対流がその下で左右に分れ、水平に進む為にできた割れ目(ギャゥ)だが、通常地溝帯は海面下12Kmにあるために、地上で見ることは難しい。しかし、世界で2箇所のみ海嶺が地上に乗り出しているところがあり、そのひとつをここシンクヴェトリルで見ることができる。アイスランドにはギャゥが幾つかあるが中でも最も有名なギャゥはここシンクヴェトリルで。一つひとつの割れ目は長さ数キロ、幅も地表面からの深さも30m程度ですがこのような割れ目が雁行して延々と連なってアイスランドをほぼ南北に貫いている。

アイスランドは2つのマントル間の陸地として中央大西洋海嶺の軸の上に、活発な火山活動と広く符合しながら過去20〜25百万年に亘って成長し続けてきた島だ。地球の深部で発生するマントル上昇流の上にある熱い表面であるアイスランドは、世界の他の如何なるところより速いスピードで大量の火山物質を溶岩として蓄積し、ギャゥGjá割れ目)を広げることで大きくなり、更に軸上になったギャゥ・ゾーンに沿って発生する火山活動によって付着成長を続けている。中央地溝帯の中心へ絶え間無く新しい溶岩が蓄積されて前の溶岩が水平に押しやられ、中央地溝帯を境目にアイスランドは東と西に向けて成長を遂げているのだ。その成長のスピードは1年に東西夫々に1〜1.5cm、合計2〜3cm。このようにアイスランドの国土は広がリ続けており、まさに活きている島の壮絶な光景を目の当たりにできる。ギャゥを境に、アイスランドの西の部分は北米大陸プレートに属し、東の部分はユーラシア大陸のプレートに属している。シンクヴェトリルの西端に位置する長い溶岩割れ目断層アルマンナギャゥAlmannagjáの西の一帯は高い絶壁で、最高地点からシングヴェトリルの全景とギャゥの壮絶な眺望を観察できる、ここからギャウの割れ目の間を低い断層となっている東端へ向かって徒歩で抜けられる。この間約20分。ユーラシア大陸とアメリカ大陸のプレートが出会う谷間の両壁の不思議な自然の造形に心が奪われる。途中、旗竿が立っているところを通りますがここは古代民主議会アルシンギで最も重要な場所だった「法律の岩」があったところと言われる。「法律の岩」には誰でも進み出て、重要な案件についてスピーチしたり、重大な事件をニュースとしてリポートしたところ。議会の開会や閉会の宣告もここでなされたし、又、法議会による判決が言い渡され、会議の日時が確認され、法行為がもたらされ、更には他の国事に関するあらゆることがここで発表され、議会に参席している誰もが「法律の岩」から重要事項に関する自分の告訴を提出することができたのだ。キリスト教への改宗など「法律の岩」で起きた出来事は後になってアイスランド・サガ書に記述して残されている。

更に詳しくは⇒「地質構造上の特徴」 及び「国立公園としてのシンクヴェトリル

アルマンナギャゥ Almannagjá

シンクヴェトリル国立公園にある最大且つ最も良く知られている地殻構造裂罅(れっか、割れ目)。このギャゥの西端は高く、東に進むにつれて低くなっていて東端部分はかなり低地になる。

シンクヴェトリルで全島議会アルシンギが開かれていた頃、ここの底部の平らな草地には議会に参加する多くの人たちがキャンプを張って野営したことから、「公衆の峡谷 =すべての人の割れ目」と呼ばれていた。右上の写真は冬のアルマンナギャゥ。

アルマンナギャゥはプレートテクトニクスとしては最も優れた例だと云える。アルマンナギャゥはスキャルドブレイズゥル楯状火山Skjaldbreiðurから流出した広大な玄武岩層が形成した。およそ9000年前のことである。玄武岩の熔岩は中央大西洋海嶺の頂上に横たわっているプレートに流れ落ち込んだ。そこが現在シンクヴェトリルがあるところだ。その後、強力な地殻移動がプレートに生じ、南西部の中央付近の熔岩を北東方面に向かって沈み込みプレートに割れ目を形成した。この沈下によって誕生した地溝帯は長さ40km、幅10kmと壮大なもの。地盤沈下は結果としてその両サイドにふたつの大きな割れ目を形成させた。そのひとつが長さ9kmの割れ目アルマンナギャゥだ。高さ30mの割れ目の西側の熔岩壁は南部においてはシンクヴァトラヴァトン湖、北部においてはアゥルマンスフェットル山に達する。もうひとつは、もう少しサイズが小さい割れ目、「大ガラスの割れ目」を意味するフラフナギャゥHrafnagjáで東側に横たわっている。ほぼ平行するアルマンナギャゥとフラプナギャゥ(Hrafnagjá)のふたつの断層の間は1789年に発生した地震により地盤が陥落して細長い地溝となっている。シンクヴェトリルの谷底はこのときにおよそ1m沈んだ。

ヴァルホットルValhöllは著名なサガ作家スノリー・ストゥルソンが所有していた一画で、現在ホテル・ヴァルホットルがあるところ(2009年7月全焼しました)。

シンクヴァトラキルキャ教会Þingvallakirkja。議会の湖の教会を意味する。サガ作家スノリー・ストゥルソンが著したオゥラブス・サガによれば、アイスランドがキリスト教に改宗した後に教会のモデルとして1016年に建てられた。建築のための木材は時のノルウエー王オラフによって、毎年6月にアルシンギのためにシンクヴェトリルに集まるアイスランド人が教会とは何ぞやとか、礼拝などのサービスを如何に執り行うかを教え込むためにアイスランド国会アルシンギに寄贈されたものとされている。教会は1118年に嵐で崩壊し、その後、数回に亘って再建されている。現在の教会は1859年に建築されたもの。鐘楼にはベルが3つあるがその最古は1698年のもの。

 

シンクヴェトリルで開かれたアルシンギは国家のあらゆる問題を規制し、慣習法を通過させ、地域間の紛争を調停し、殺人や不法行為に関しては法律に基づいて判決を下した。

アルシンギが創設される前、全国の各地域はゴジ(Goði)と称される首長に率いら、それ自身の地方議会を持っていた。

アルシンギが創設された930年から868年の間、毎夏、各地の首長はもちろん、全国から自作農や一般の男女が自分たちの家や村を離れ、年に1回のみ催される2週間に亘る長期会合のためにシンクヴェトリルに向かった。当該会合は毎夏の11週目の最初の木曜日に開始された。会合へ出席するために人々は馬の背に揺られながら何日も旅し、特に、東部からは17日間もかかったと記録に残る。シンクヴェトリルに到着すると人々は野営のためのテントを張り、会談や商売をするための仮ブースをセットした。シンクヴェトリルの平原はテント、ブース、岩石、羊や馬で埋まり、ごちゃごちゃした、活気あふれる露天の市場と化した。

ログリエッタ(Logrétta)と称された立法議会では、ゴダール(?Godar)、有力な地方の首長そして司教が集い、議論を戦わし、新たな法律を成立させ、旧法を修正した。立法議会ログリエッタの議長は“法律を語る人”ロースピーカーを意味するログソグマズゥル(Lögsögumaður)と称され、立法議会の選挙で選ばれ、任期は3年だった。彼はアルマンナギャゥの高い岩壁を背にする特別なスポット、“法律の岩”を意味するログベルグ(Lögberg)に立ち、法律のすべてを朗唱した。そのため彼はいつの夏も法律や手続き上の規則を丸暗記し、暗証せねばならなかった。彼が立つ背後の裂溝の高い溶岩の壁の所為で、音響効果は抜群で彼の放す声は共鳴し、朗々と響き渡った。彼の言葉は遥かに離れた断崖に居る他のスピーカーによって復唱され、すべての人々に伝えられた。

1944年6月17日、アルシンギのスピーカーはこの法律の岩に立ち、シンクヴェトリルに集まった多くの人々を前に主権を有する共和国として独立を宣言した。今はその岩を見ることはできない。度重なる地震で地下深くに沈んだからだ。

元来、アルシンギの場所として選ばれたこの地は“青い森林”を意味するブラゥスコゥガル(Bláskógar)と呼ばれていて、ソゥリール・クロッピーンスケッグルという男の個人所有の土地であったが、彼が自分の奴婢を殺し、その罰として彼のすべての土地は没収され共和国所有地とされた。首長たちはこの地をアルシンギの議場と定め、議会平原を意味するシンクヴェトリルと地名を改めた。水や牧草も豊かで居留区にも近く、大勢の人々が集合するにはまさにピッタシの場所であった。

シンクヴェトリルにおける年次夏季イベントは法律を通す場としてだけではなかった。盗人が鞭打ちの刑に処せられたり、罪人が首を刎ねられ、吊るされたりする場でもあった。更には、罰当たりの女が溺死させられたり、無法者が追放の刑に処せられ、宗教上の役職が任命されたり、結婚式がとり行われ、契約にまつわる交渉ごとがなされたり、揉め事が解決されたり、名誉にかかわる決闘が行われたり、遠隔間のニュースが交換されたりもした。

シンクヴェトリルの意義は単に歴史的なものに留まらず、地質学的にも植物学的にも興味深い存在だ。ここでは途方もなくおおきな地球の割れ目がある。毎年平均して1〜1.5cm互いに離れていく北米大陸とユーラシア大陸の構造プレートだ。このことはアイスランドが毎年2〜3cm東西に拡がり続けていることを意味している。中央大西洋海嶺で北米大陸とユーラシア大陸のプレートが邂逅している。

シンクヴェトリルは1930年に国立公園として布告された。全アイスランド国民の国家的聖地として保護管轄されるべきとしてシンクヴェトリルを指定する法律が通った結果だ。

「シンクヴェトリルは全アイスランド国民にとって永遠に保護すべき国家的聖地である。議会の保護下のもとに国家としてのアイスランドの永久の財産であって、売却や抵当の対象には絶対にされてはならない」。シンクヴェトリルの保護法案は居住者の侵害によって起こり得る自然環境の変化を阻止するという観点において、その後のアメリカにおいて確立された国立公園のモデルとされている。シンクヴェトリル国立公園では居住が認められない地域は広大で自然が保護されており、訪れることは自由にできるが居住したり、開発したりすることは一切禁じられている。

 

シンクヴァトラヴァトン Þingvallavatn

シンクヴェトリル国立公園にある広大な 天然湖でその面積は82㎢。水面の海抜は103mで、深さは平均で34.1m、最深部は114mに達する。 かつて地震によってシンクヴェトリル付近は何度か地盤沈下を起こしているが、この湖は同じ理由で地盤が地下水の水位以下に沈みこんで誕生したもの。従って、湖の水は大部分 (90%)が地下の湧き水 でミネラルの含有量は極めて高く、湖水はいつも極めて冷たい。 このことがこの湖の生態系維持に大きな貢献をなしている。水は冷たいものの、養分が豊富に含まれているので植物の生育に適っている。湖には確認されているだけで3種の魚が棲息している。2種のタラとトゲウオだ。湖に注ぎ込んでいる川はオクスアルアゥ川唯一つ。そして湖水はソグ川に流出している。湖内にはふたつの島が浮かぶ。サンドエイ島とネーシャエイ島で、両者とも古いクレーターである。

オクスアルアゥルフォス Öxarárfoss

清冽な「釜の川」を意味するオクスアルアゥÖxará川の清流がアルマンナギャゥ を横切ってシンクヴァトラヴァトン湖に流れ込む手前にある小さいが勢いのある滝。1100年ごろ、先人たちが水辺へのアクセスをよくするために川の水路を変え、馬や人々の通行のために川に橋を架けたという話が残っている。滝が流れ落ちるポイントは深い池となっている。池の名前はドレッキンガルヒイルルDrekkingarhylur。溺死の池の意味だ。かつては処刑の場所であった。罪人が女の場合には袋詰めにされ、この深い池に投げ込まれ溺死させられた。男の場合には首を刎ねられるか、吊るし首にされ、泥棒の場合には鞭打ちの刑に処され、乞食やルンペンも罰せられた。斯様に忌まわしい処刑は1838年に廃止されるまで普通に実行されていた。オクスアルアゥ川にある中州オクスアルアゥルホゥルミÖxarárhólmiは古い昔には決闘の場所として用いられていた。

 

★ゲイシール Geysir
レイキャヴィークから北東へ120Kmにあるアイスランドを代表する間欠泉。アイスランド語で噴出を意味し、英語の間欠泉(Geyser)の語源になっているほどで、間欠泉はアイスランドのシンボル的存在。ゲイシール間欠泉はかつて60M−70Mの高さまで噴き上げていたが、1915年以降は休止状態が続き、1935年になって再び活動を開始したものの数年で休眠状態となっていた。

しかし、2000年6月17日と21日に南部地帯で大きな地震が発生したからでしょうか、突然、活動しびっくりさせられた。噴出は多くても1日数回で、高さも数メートルでかつての栄光を取り戻すまでには至らず直ぐに再び休眠してしまう。ところが2008年5月29日にM6.2の大きな地震が発生し、また、噴き上げた。地震により、南アイスランドの地熱が刺激を受け活動を強め、ゲイシールの底にある温水が地熱で高温状態に高められたのが原因だ。

ゲイシール以外にも10個以上の間欠泉がここにあるが最も活発に活動しているのが1963年からゲイシール・エリアの主役となったストロックル間欠泉(Strokkur)。ストロックルはアイスランド語では「攪拌」を意味し、1789年の地震の際に出現した間歇泉。7〜8分毎に30mの高さまで豪快に噴きあげている。その自然の営みをすぐ傍で見学できる。温水が地熱(120℃)で高温状態になり底部(約23Mの深さ)が沸騰し、瞬時のうちに蒸気となりその蒸気圧が水圧に勝って溝の上部の熱湯が突然噴き上げる現象だ。その轟音と迫力満点の大自然の営みに感動を覚えずにはおられない。  

ゲイシール、ストロックル以外にもオゥセルリスホーラ(Óþerrishola、雨乞い師)、リトリ・ゲイシール(Litli-Geysir, 小ゲイシール)、リトリ・ストロックル(Litli-Strokkur, 小ストロックル)など名前が付けられている小さな間欠泉があが噴出はほとんどしていない。ただ、オゥセルリスホーラ間歇泉のみは気圧が低いときに何回か小さな噴出を起こすことがある。ゲイシール近くにあるコヌングスクヴェール(Konungshver,王様の温泉)とブレシ(Blesi, 保温鍋)は2000年6月の地震の後に沸騰した熱湯を50cm〜1mまで噴き上げる姿が見られる事がある。スナックショップやギフトショップに隣接して、アイスランドの地質に関する興味深い展示が見られるゲイシール・センターがあり 、氷河、火山、地震そして地熱等に関する博物館となっている。移住時代からの民族的展示物も陳列されてる。氷河が崩壊する様や氷河と火山の相互作用によって形成された地勢など自然の摂理が創造した世界の紹介にこの博物館のコンセプトはおかれ 、結構興味惹かれるスポットとなっている。

グトルフォス Gullfoss
ゲイシールからおよそ10kmに位置するアイスランド第一級の瀑布グトルフォスは、アイスランド語で「黄金の滝」の意味。ラングヨークトル氷河から流れ出る大河クヴィートアゥのたわわな河水が幅70メートル、1段が15〜30メートルの高さの階段状の溶岩層を白い水煙を上げながら流れ落ちる様はまさに豪快そのもので迫力満点。虹がその水煙にかかると、鮮やかな虹がかかり、名前どおり、その光景は黄金色に染まり特に壮観。更に滝が流れ落ちた後は、溶岩層の大渓谷を悠々と流れ続け、これまた素晴らしい光景である。通常、1月〜3月は凍結するが、夏季とはまた趣を変えた勇姿に出会え、大自然の営みのすごさに感動できる。崖上にはこの滝を外国発電資本から守り抜いた少女シグリットの銅像がある(ここをダムにしようと滝周辺の利権を獲得しようとしたバイヤーとそれを阻止した勇敢な女性)パーキングエリアの左手には板作りの階段があり、そこを昇ると高台があってそこにはグトルフォス記念館(シグリーズゥルを記念して建てられたもの)がある。ここからグトルフォスの滝とその周辺が一望できる。

ロイガルヴァトン Laugarvatn

セルフォスの北西の温泉が豊富な一帯ビスックプストゥングルの中心となる人口151人の村。その意味は温泉の湖。この辺りでは、農民が温泉と地熱を農作業用の動力に利用して興味深い光景が見られるほか、ロイガルヴァトンは「天然サウナ」や「ポニー・トレッキング」を楽しめるところとして人気があり、重要なツーリスト・スポットになっている。

フルージル Flúðir  

南アイスランドのほぼ中心部に位置、地熱地帯の周辺に建てられた人口275人の小村。レイキャヴィークからほぼ100km、セルフォスからは50kmで間欠泉ゲイシールへや黄金の滝グトルフォスヘは25kmと近い。地熱利用の温室ガーディニング・センターがある。1899年、フルージルの傍にあるヘトリスホルト(洞穴のある丘の意味)のパラゴナイト擬灰岩の形状によって氷河期について新たな考え方がもたらされている。この村には全32室の年間オープンのアイスランド航空ホテル・フルージルがある。9ホールのゴルフコースの他、スイミングプールもホテルの近くにある。

クヴォルスヴォットルル Hvolsvöllur
ラングアゥルヴェトリル平野のほぼ中央部に位置する人口680人の小さな町。住民の多くは周辺が肥沃な農業地帯である関係で、農業従事者。ヘトラ同様に若いコミュニテイで町の起こりは1932年。サガの傑作「ニャールのサガ」の舞台となっていることもあってヴァイキングや「ニャールのサガ」に関する研究が熱心に進められており、展示の施設もある。ニャールのサガにまつわるスポットを巡るツアーもある。

マルカルフリョゥト Markarfljót
ヴォルスヴォットルルからリングロードを東に約23km地点に大きな橋があるが、それが架かる河で長さ100kmの氷河を源にする

この氷河川の主要な水源はエイヤフィヤットラヨークトル(Eyjafjallajökull)とミールダルスヨークトルMýrdalsjökull)だが、数多の支流(網状流)で最長の川はトルファヨークトル(Torfajökull)の西に位置するレイキャダルール峡谷からのもので更にはティンダフィヤットラヨークトル氷河(Tindafjallajökull)を水源としている。4つの氷河を水源としている所謂“典型的な氷河川”だ。この川は大量の石や砂利を運び込み、しばしば土堤を破って洪水を起こし、低地の農場地帯に大きな被害をもたらしていたが、近年に施された防水堤によって斯うした損害もなくなっている。

マルカルフリョゥト河の全長は100km。総排水面積はおよそ1,070kuで平均の流水量は毎秒85㎥。最初に架けられた橋の全長は232mで1934年に開設されたもの。ファーム・セリャラントSeljalandの西に架けられた新しい橋は1992年に開設されたものだ。

ここセリャラントからは249号線経由で内陸部に向かう山岳路ソゥルスメルクゥルヴェグールÞórsmörkurvegurF249)が走っていて、これがソゥルスモルクへのルートとなる。その中間地点の途中にはマルカルフリョゥト集水地域が拡がっている。広さは1,070平方キロメートル。ここは車はもちろん徒歩でも渡ることができる。しかし、氷河からの溶水で水嵩が増したときには障害となる難関が多くなり、渡河は難しくなる。

2010年4月14日にエイヤフィヤットラヨークトル氷河の舌氷河ギーグヨークトルの噴火で氷河が大量に溶解し、マルカルフリョゥト河が大洪水となり、道路や橋梁に甚大な被害をもたらしている。

スコゥガル Skógar
南部沿岸からほんの2〜3キロのところ、リング・ロード沿いにある村でアイスランドでも有数の充実さを持つ民族博物館と夏の宿泊施設を持つ、回りの自然環境が素晴らしいツーリスト・リゾート地。息を飲むような様相のスカゥガフォスの滝、雪を被った二つの氷河の眺めがこの村を訪れる目的になる。スコゥガルは西のパート(Ytri-Skógar )と東のパート(Eystri-Skógar)に分けられ、通常スコゥガルというときは西のパートを指し、スコゥグアゥとクヴェルンアゥの二つの川の間に位置し、ここには1890年に遡る古い農家と教会がある。スコゥガルの歴史は古く、ここにヴァイキングのスラシ・ソゥロゥルブソンが定住をした900年頃の定住の時代に遡る。スラシがスコゥガフォスの滝の裏手にある洞窟に金がたっぷり詰まった箱を隠したとの言伝えが残っている。

スコゥガフォスは高さが60m、アイスランドでも最も印象に残る滝に数えられる。山岳地帯フィムヴォルズハゥルスに源を発するスコゥガアゥ川(Skogaá)には20もの滝があるがその最下流にある滝。スコゥガアゥ川に沿って小道があり、他の滝を求めて歩く事ができる。この小道はエイヤフィヤットラヨークトル(Eyjafjallajökull)とミールダルスヨークトル(Mýrdalsjökull)のふたつの氷河に挟まれた峠フィムヴォルズハゥルス(Fimmvörðuhals)を横切って、美しいソゥルスモルク自然保護区Þórsmörk)まで続いている。スコゥガフォスの滝からソゥルスモルクまでの距離はほぼ10kmあ る。

スコゥガル民族博物館はアイスランドの歴史を知るには必見。6000点を超える文化遺物やいろんなタイプの昔の住居を見学することが出来る。芝土の古い農家があって、昔のアイスランドの生活を体験できるようになっている。スコゥガル民族博物館は1949年に開館した。最初の建築は1954年と1955年になされた。その後、1989年から1994年にかけて拡充が図られ今では博物館の総面積は600uに及ぶ。この博物館はその創館以来ソゥルズゥル・トーマソン(Þórður Tómasson)という名のたった独りの手で維持運営されてきた。当初は国内の工芸品や芸術品そして野外博物館用の住居や建物の蒐集から始めたがそれは今でも継続され、年毎に展示品や建物が増え続けている。2005年には博物館の用地内に13もの家屋や教会が建ち並んでいる。創館者トーマソンの文学上の偉大なる功績は古い伝統、社会学、人口統計学、博物館学、神話学に及び、1997年にはアイスランド大学の名誉博士号を授与された。

スコゥガフォス Skógafoss

アイスランドでも最も印象に残る高さ60m滝。山岳地帯フィムヴォルズハゥルスに源を発するスコゥガアゥ川には20もの 小さな滝があるがその最下流にある滝。 スコゥガスフォスから川に沿って山のスロープを登ればこれらの小さな滝を比較的容易に見学することができる。スコゥガル地域において最初に定住したヴァイキングはスラシ・ソロルブソン。彼は教養は備わっていたが古風な考えの男だった。彼は滝の裏側の洞窟に金貨をちりばめた胸飾りを隠したと伝えられている。天気のいいで日に、太陽がまぶしく輝いているとき、流れ落ちる滝の中に彼の金貨が光り輝いていると感じた。あまたの人々がこの金の胸飾りを見つけ出そうとしたが、ある若者がそれに成功した。彼は胸飾りのリングにロープを掛け、引っ張りあげたのだが、取り上げることができたのはリングだけであった。そして、そのリングは後になってスコゥガル教会のドアの一部に使用されたと伝えられている。スコゥガル民族博物館の誇る遺産のひとつだ。

標高1,665mで南アイスランドで最も高いエイヤヒャトラヨークトル氷河の頂上からは絶景の眺望が楽しめる。

セリャランスフォス Seljalandsfoss
 スコゥガルか
ら30km、セリャランスアゥ川から流れ落ちる、幅は細いが落差 65mの絵のように美しい滝。細い別れ滝がある小路が滝となって流れ落ちる崖の底部にあり、滝の裏側を歩くことができるが滑りやすいので注意が必要。 また水しぶきで滝の裏側を歩く際には帽子や防水の着衣も用意したい。この種の滝はここだけ。ここに至るにはリング・ロード沿いにある農場セリャランドから入る。 滝はリング・ロードからその壮観な全容を見ることができる。1967年1月にスコゥガル一帯を毎日101mmの豪雨が襲った。この付近にあるすべての河川は氾濫し、大洪水を随所にもたらした。洪水によって、滝のがけ部分の何箇所かが崩壊し、見栄えは以前ほどではなくなったといわれるがその美しさは今尚本格的だ。ここから少し西の位置には幾つかの滝があり、そのひとつがそれ自体の渓谷で部分的に隠されたグリューフラブーイ。

フィムヴォルズスハゥルス Fimmvörðuháls        
 エイヤフィヤットラヨークトルとミールダルスヨークトルの両氷河の間にある 、
「5つのケルンがある峰々」意味する山稜(環状山)。かってはこれも氷河によって覆われていた。この辺りは上記2つの氷河を遮るようにしているクレーター地で、両氷河が一つに繋がっていた。雄大な両氷河を目の当たりに見られる魅力のスポット。スコゥガルからフィムヴォルズスハゥルスまではジープ用のトラックが走っている。そこからゴーザランド(Goðaland)とソゥルスモルクまではいいハイキング・パスになっている。しかし、ハイキングをエンジョイするにはジープトラックを通るよりはスコゥガアゥ川沿いのハイク用の標識に従ってソゥルスモルクに向かうルートがお勧め。ジープトラックでは見られない余多の滝の光景が楽しいからだ。

エイヤフィヤトラヨークトル Eyjafjallajökull
 3〜4km幅のクレーターを持つ、海抜1,666mの氷河。「島の氷河山」の意味を持つ海抜1,666mの氷河火山でアイスランドでは8番目の標高。南沿岸部の沖合いに浮かぶ群島ヴェストマンナヤイルが一望できることからこの名前が付いた。山塊は数千年間も続いた噴火の結果であることがはっきりと見て取れる。氷河期中期から完新世にかけて頻発した噴火によって出現した。氷河はほぼ100kuの地域に広がる。3〜4km幅の大きなクレーターを持っているが、このことからアイスランド有史以降において何度かの噴火を繰り返していたものと考えられる。1612年と1812年〜1823年に起きた2回の噴火だけは記録に残されている。この2回の噴火の際には、エイヤフィヨットル山とフリョゥトスフリズ斜面の間の低地帯に溶けた氷河の氷が大量に流失し、大洪水をもたらした。結果として大量の降灰と共に膨大な損害をもたらしている。19世紀の終わりごろには、地震活動が頻発し、地割れから洩れ噴き出るガスがはっきりと観測されたと記録されている。

頂上の氷冠の面積はアイスランドで5番目の広さ。北側の斜面の麓に向かって急勾配で流れ落ちるギ ーグヨークトル( Gígjökull )とステインスホルトスヨークトル(Steinsholtsjökull)の二つの舌氷河を持っているが、両方共に氷河の先端部には潟湖があり、氷河から崩落した流氷が浮かんでいる。

ステインスホルトスヨークトル Steinsholtsjökull
 
エイヤフィヤットラヨークトル氷河の北の部分からの舌氷河。氷河の先端部の傍に小さな湖があり、ここを源流としている川がステインスホルトスアゥ。1967年1月、山の広大な部分が崩れ落ちて、氷河に衝突し、そのために大洪水を起こしたことで知られている。

ギーグヨークトル Gígjökull
 
エイヤフィヤットラヨークトル氷河の北側の斜面を麓に向かって急勾配で流れ落ちる舌氷河。エイヤフィヤットラヨークトルの噴火口から流れ出ていることから 「噴火口の氷河」と名付けられた。氷河の直ぐ真ん前には氷河礁湖ヨークルロゥンJökullónがあり、その最深部の深さは40mを超え、通常なら湖上に漂う氷塊が見られる。

ソゥルスモルク自然保護区 Þórsmörk

レイキャヴィークからは車で3時間15分ほど。リングロードを西に向かい、クヴェーラゲルジ、セルフォス、ヘットラ、クヴォルスヴォットルルなどを経て、サウスショアのルートに入り、セリャランスフォスの滝がある村セリャラントへ。そこから249号線と山岳路ソゥルスメルクゥルヴェグールÞórsmörkurvegurF249)を走破してソゥルスモルクへ向か うことになる。この間の距離はおよそ25km。その途中の中間地点の途中にはマルカルフリョゥト集水地域が拡がっている。広さは1,070平方キロメートル。渡河を重ねるドライブとなる。このため、この地を訪れるには重装備の4WDが必要となる。 加えて、ドライバーの経験や熟達も要求される。

ソゥルスモルクの中心はフーサダルールHúsadalur、レイキャヴィークからのバス(例年6月中旬〜9月中旬に運行)もここがターミナルになる。フーサダルールには、ここをベースに幾つかのハイキング・ルートが用意されていて、興味惹かれる洞窟やマルカルフリョウトスグリューフル渓谷へのルートは一般のツーリストへお勧めのショートコースとなってとなっている。

フーサダルールHúsadalur

ここにはいくつかの宿泊施設がある。その代表格がハット・ノルズゥルガルズゥル。ハットは全部で8棟で1棟あたり4〜5人が収容出来る。各ハットには2段ベッドが2つあり、水道、キッチン、料理器具や食器なども備わっている。更に、フーサダルールにはいっときに120人収容できるダルセルDalselという名称のレストラン・ラウンジがあり、軽食や飲み物の類を求めることが出来る。ラウンジに隣接してここを訪れるツーリスト用にサービス・ハウスがある。ハウスは二つに分かれていて、一方は個人や小グループ向けのキッチンや料理施設、他方ではシャワーやサウナが利用できるようになっている。

フーサダルール滞在中に是非お勧めしたいのが、天然露天風呂ソゥルスロイグÞóslaug。水着とタオルが必携となる。

ソゥルスメルクゥルヴェグールÞórsmörkurvegurF249)のポイント;

ソゥルスモルクの南西部でステインスホルトスヨークトル氷河Steinsholtsjökull(エイヤヒャトラヨークトルの舌氷河)付近にある大きな割れ目渓谷スタックホルトスギャゥStakkholtsgjá。谷の両壁はほぼ垂直で高さは100mもあります。渓谷はふたつに分けられ、左の部分は清流の愛らしい滝がある狭い深淵まで続いています。スタックホルトスギャゥを抜けてこの滝付近までは絶好のハイキングパスになっています。

ステインスホルトスヨークトル氷河の端部にある湖から流れ出ている川はステインスホルトスアゥSteinsholtsá。1967年1月、山の広大な部分が崩れ落ちて、氷河に衝突し、そのために大洪水を起こしたことで知られています。

大な山岳、エイヤヒャトラヨークトル,ミールダルスヨークトルそしてティンドヒャトラヨークトルの3つの氷河そして氷河川による自然の境界線を持つ美しい自然保護区。アイスランドには自然が創造した数多の造化が存在するが、ここソゥルスモルクはその代表的な存在のひとつと云える。南はクロッスアゥ川、西はマルカルフリョゥト川、北はリョゥスアゥ川(いずれも橋は1本も架っていない)そして東はミールダルスヨークトル氷河が周囲との境界になっていて、いわば、四方が橋のない河川、氷河と山々に抱かれ、隠れるように横たわっている美しい自然保護区としてユニークな存在。加えて、その特別な気象上の条件が 特別な田園詩的な環境を作り出している。周囲の厳しく、過酷な気象条件から遮蔽するかのように氷河や山々によって四方が囲まれ安全な一画をなしている、それがオアシス的存在 と称される所以だ。

息を飲むような光景と多様な動物相の地でもあり、170種以上の植物群、樹木、苔、シダが観察できる。ここには数えきれないほどの谷、森林、氷河川、澄み切った 清冽な小川や雄大な山岳があり、絶好のハイキング・スポットとなっている。 この地区の山岳は氷河底の噴火によって創造されたもので、茶褐色の火山岩のソーダ雲母からなっていて、玄武岩と比べて浸食されやすい性質を持って いる。

ソゥルスモルクを取り囲む3つの氷河について

*ミールダルスヨークトル氷河Mýrdalsjökull

「湿地の谷の氷河」を意味するミールダルスヨークトル氷河の面積は596㎢、その最高点は1480m。アイスランドでは4番目に大きい氷河だ。1918年に大噴火した非常に火山活動が活発な中央山塊の上に横たわっている。その火山は氷河底火山カットラ(Katla)でカルデラの直径はおよそ10kmと推測されている。噴火はカルデラの内外部の多くの場所でおき、大きな氷河の破裂爆発となることがしばしば。その際、突き出た舌部を下方に流れ落ち、大量の水を放流する。

エイヤフィヤットラヨークトル氷河 Eyjafjallajökull

ミールダルスヨークトル氷河の西に続く位置し、南アイスランドで最も高いエイヤフィヤトラヨークトル(Eyjafjallajökull)、3〜4km幅のクレーターを持つ氷河。「島の氷河山」の意味を持つ海抜1,666mの氷河火山でアイスランドでは8番目の標高。南沿岸部の沖合に浮かぶ群島ヴェストマンナヤイルが一望できることからこの名前が付けられた。山塊は数千年間も続いた噴火の結果であることがはっきりと見て取れ、氷河期中期から完新世にかけて頻発した噴火によって出現したもの。氷河はほぼ100kuの地域に広がる。3〜4km幅の大きなクレーターを持っていることからアイスランド有史以降において何度かの噴火を繰り返していたものと考えられている。1612年と1812年〜1823年に起きた2回の噴火だけは記録に残されていて、この2回の噴火の際にはエイヤフィヨットル山とフリョゥトスフリズ斜面の間の低地帯に溶けた氷河の氷が大量に流失、大洪水をもたらし、結果として大量の降灰と共に膨大な損害をもたらしている。19世紀の終わりごろには地震活動が頻発し、地割れから洩れ噴き出るガスがはっきりと観測されたと記録されている。頂上の氷冠の面積はアイスランドで5番目の広さ。北側の斜面の麓に向かって急勾配で流れ落ちる 「噴火口の氷河」を意味するギーグヨークトル(Gígjökull)とステインスホルトスヨークトル(Steinsholtsjökull)の二つの舌氷河を持っているが両方共に氷河の先端部には潟湖があり、氷河から崩落した流氷が浮かんでいる。

ティンダフィヤットラヨークトル氷河 Tindafjallajökull

「大釘の山の氷河」を意味するこの氷河は面積が僅か19㎢と小さい。ミールダルスヨークトル氷河の直ぐ北西に位置している。尖った峰が連なっていることからこの名前が付けられた。その最高峰はイーミルで標高は1462m。東部の氷に覆われた一帯の下部は流紋岩が主体で北東部分の下部には広大な火口シンズリが横たわっている。何本かの川がこの氷河から流れ出ていて、そのほとんどが東ラングアゥ河とマルカルフリョゥト河に注いでいる。

 

ス トックホルトスギャゥ Stokkholtsgjá

ソゥルスモルクの南西部でステインスホルトスヨークトル氷河(エイヤヒャトラヨークトルの舌氷河)付近にある大きな割れ目渓谷。谷の両壁はほぼ垂直で高さは100mもある。渓谷はふたつに分けられ、左の部分は清流の愛らしい滝がある狭い深淵まで続いている。スタックホルトスギャゥを抜けてこの滝付近までは絶好のハイキングパスになっている。所要は1時間程度(片道)。

ゴーザランド Goðaland

クロッスアゥ川の南岸の一帯で川を挟んでソゥルスモルクは対岸に位置する。小さな峡谷、渓谷、氷河など大自然の審美な地域で広大なカバの森林が特徴。アイスランド・ツーリングクラブのハットが二つある。

ディルホゥラエイ Dyrhólaey
 英国のトロール漁船員によって「ブローホール(額の穴)」 と名付けられた、巨大な穴を持つ海に突き出た雄大かつ奇怪な断崖の岬。アイスランド語での意味は「扉の丘の島」だが実際には島ではない。砂浜にある部分の高さは120m。その沖合いには自然が創造したユニークな岩柱が浮かんでいる。海鳥の棲息地としても知られ、アイスランド本島の最南の地点。トゥインと呼ばれる穴の部分はボートが楽に通れるほど大きい。1963年、突然の海底噴火で誕生したスルトセイ島のように、間氷期に海底火山によって出現したものと考えられている。突き出た絶壁近くには幾つかの孤立岩が見られる。4月後半から8月下旬にかけては沿岸の険しいクリフには無数のパフィンやフルマカモメ、ウミガラス、オオハシ・ウミガラス、カツオドリ、アジサシ、ケワタガモなどの海鳥が生息している姿が観察できる。ここは自然保護区となっており、海鳥の繁殖期間が終わる6月25日までは立ち入ることが禁じられている。

ディルホゥラエイの西側の部分はハゥエイ(高い島)と名づけられ、凝灰岩から成っている。その東側の部分はラゥグエイ(低い島)と名づけられ、輝緑岩で成っている。昔は多くの漁船がディラホゥラエイから運航され、大抵の農夫が生活の糧を求めて漁に出ていた。最近では、農夫は岬にケワタガモの営巣地を手広く開発させダウン産業を発展させている。

ヴィーク í 

 正式名称はヴィーク・イ・ミールダルVík í Mýrdal で、最南に位置する人口280人ほどで、アイスランドの中央南部沿岸部では唯一の村。農業のほか、港を持たないにも拘わらず小さな外輪船を利用した漁業が盛ん。かつてこの地はクリフによって陸地から分断されていたが、1660年のカ ットラ火山の噴火によって現在のような地形になった。周辺には自然美の光景が広がり、村の東のはずれにはヨーロッパ最大の北極アジサシの繁殖地がある。ヴィークの南側 にはフラットな黒砂のビーチが広がっている。美しいビーチで、1991年、国際島嶼マガジン誌で世界の島嶼ビーチでベスト10のひとつとして紹介された。

レイニスヒャットル Reynisfjall
 ヴィークの村近くの山で海抜324m、無数の野鳥が巣くう。頂上には長距離航空航行のためのローラン・ステーションがあるが現在使用されていない。ヴィークからこの頂まではジープ道があるがかなり険阻。この地を有名にしているのが、山のすぐ南にある、海面から66mまで突き出て並ぶ方尖塔上の岩柱群レイニスドランガル(Reynisdrangar)。ヴィークからはっきりと見ろことが出来る。

  レイニスクヴェルヴィ Reynishverf

レイニスヒャットルの西側に位置する小さなコミュニティ。ツノメドリや各種海鳥の巣がある険しい崖がそびえる海岸線。

 

 ミールダルスヨークトル氷河 Mýrdalsjökull

海抜1,493m、面積596平方キロメートルでアイスランドで4番目に大きな氷河。氷河の舌部は低地帯まで葡行しており、その中でも最も際立つのは、リング・ロードのすぐ側近くまで来ているソゥルヘイマヨークトルである。氷河の南東部の氷河底には1918年に最後の噴火をした活火山カトラが隠れている。氷河ではスノーモービルのレンタルができるほか、ハイキングも楽しめ、また、夏にはスキーリフトも運行される。

ミールダルスサンドゥル Mýrdalssandur

ミールダルスヨークトル氷河ýrdalsjökull)の湖底火山カトラ(Katla)の噴火洪水によって創造された700平方kmの広大な砂漠地帯。

ソゥルヘイマヨークトル氷河 lheimajökull

ミールダルスヨークトル氷河(ýrdalsjökull)の南西の流出口から突き出した鼻のように横たわる、小さな細長い舌氷河でその長さは約8km、幅は1〜2km。氷河川ヨークルスアゥに流出しているがこの川はしばしば“酷い悪臭を放つ川”と呼ばれるが高熱地帯となっている氷河の舌端部付近から放出される亜硫酸ガスの所為だ。

氷河はここ数世紀の間におよそ900mも前進していたが、1930年〜1964年にかけては一旦大きく後退をしている。その後の90年代においては前進し、ヨークルスハウス丘陵を被う程になっている。氷河は渓谷状になっていて渓谷の両壁の間にはいくつかの潟湖があるがそのうちのひとつは全く突然のように水を喪い空っぽになることがある。天気が良ければ氷河の中の散策もできるが、潟湖の洪水が何日か続いた後は危険。

ソゥルヘイマール(ミールダルール) lheimar in ýrdalur

ミールダルール地区(ýrdalur)で最も西にあるファーム。初期のヴァイキング定住者”老人ロズムンドゥル”が居住した地。ソゥルへイマヨークトル氷河の南西に流れ出る舌氷河部分にあることからこの名がついた。

ソゥルヘイマール(グリームスネス) lheimar in Grímsnes

グリームスネス郡で唯一の村落で郡の人口は377人だがそのおよそ3分の1に当る100人ばかりがソゥルへイマールに住んでいる。そのうちのほぼ半分の42人が障害者だ。

ソゥルへイマールは産業活動を行うに当り独立した存在として登録され、認められていて、この村には少なくとも5つの事業と4つの作業所が運営されている。ここでは有機栽培が実施されているが恐らく北欧諸国の中でこの試みがなされた初のケースとなった。セッセリア・クレインジス・シムンズスドゥティル婦人(1902−1974)は1930年7月5日に保育所をこの地に創立、後に身体障害者のサービスセンターをも立ち上げた。同夫人はアイスランドにあってこの分野におけるパイオニアとしてのみならず健常者と障害者との共存/共生の概念を全世界にもたらしたことで知られている。

ソゥルへイマールは1997年4月、「グローバル・エコヴィレッジ・ネットワーク(世界環境保全型農村のネットワーク)Global Ecovillage Network = GEN http://gen.ecovillage.org/index.html 」のメンバーとして宣言、アイスランド国内で継続的に排他的に持続可能な初の村落となった。ソゥルへイマールでは、アートセンターを兼ねるショップ・ヴァーラ、3つの託児所を有するオゥルル、園芸センタースンナ、ロウソク工場、楽器製作所、玩具製作所、織物工場、工芸センター、スポーツ&演劇ホール、宿泊施設としてゲストハウス・ブレックコゥト、屋外スイミングプールなど数々のビジネスや企業が存在している。もちろん、その原点のひとつである障害者や青少年のための施設「ソゥルへイマール・ホーム」も。

ソゥルへイマールのトータルの農地面積は250ヘクタール。そのうち37ヘクタールがコミュニテイの建物や居住地域となっている。そして、およそ150ヘクタールが森林地や営林のためのスペース。

ショゥスアゥ Þórsá
アイスランド最長の河川で、その水源は高地内陸部のスプレンギサンドゥルのベルクヴァスクヴィスル。この支流はホフスヨークトル氷河を過ぎる辺りから広大なショゥルスアゥヴェル湿地帯に流れ込み、大河のもとを生み出している。この湿地帯は自然保護区で、桃色足ガンの世界最大の繁殖地となっている。全長230km、7,530kuの流域を流出する。この河には、ブールフェットル、シガルダそしてフロインエイヤルフォスの3つの水力発電所がある。  

ショゥスアゥダールル Þórsárdalur
 大河ショゥルスアゥの渓
谷で、うっそうと生い茂るカバの木の森、砂溶岩の原野、沢山の川や滝の織りなす鋭いコントラストに目を奪われる。ギャゥインは一風変わった山峡で、無数の湧水、奇形奇岩、小さいが興味惹かれる滝ギャゥルフォスが見どころ。渓谷の中には、1104年のヘックラ火山の噴火で埋没したストィンクの廃墟跡を参考にしたサガ時代の農場が復元されている。  

ヴァイキングの家屋や農場をそっくりそのまま復元した。復元された農場は自治国家農場と呼称され、恐らく中世アイスランドの住居としては最も忠実なものと云える。

 

 

 

 

ストインク Stöng

1104年のヘックラ火山の噴火により廃墟化、ヴァイキングの家屋をそっくりそのまま復元したサガ時代の農場が見学できる。ショゥルスアゥダールル渓谷にある。

初期の定住者は農場として肥沃なショゥルスアゥダールル渓谷を選んだ。しかし、彼等は渓谷の南に聳える穏やかそうな雪を被った山が活火山であることには気付いていなかった。1104年この静かな山ヘックラが大規模な噴火を起こし、定住地周辺は大量の火山灰や岩石の破片によって埋め尽くされた。1939年に北欧の考古学者がストイングを発掘し、埋もれ廃墟化されていたサガ時代の農場を発見した。この発見によってヴァイキング特有の長屋に関するデザインや建築様式、12世紀までの発展状況そして自治国家時代についての貴重な情報が入手された。

アイスランド定住1100年を記念する1974年、建築家と歴史家のチームがデータを総合し、渓谷から2〜3kmのスケリャスタジルのストイングに細部に拘りながらヴァイキングの家屋や農場を忠実に復元した。復元された農場は自治国家農場と呼称され、恐らく中世アイスランドの住居としては最も忠実なものとされている。

ハゥイフォス Háifoss

「高い滝」を意味するだけにアイスランドで2番目に高さ。122mある。フォッサゥルダルール渓谷を流れるフォスアゥ川にある。溶岩原から122mの滝底に流れ落ちる様はまさに勇壮。

ヒャルパルフォス Hjalparfoss

「お助け滝」を意味する。13mの高さで小さい滝だが華麗。アイスランド最長の大河ショゥスアゥの支流フォスアゥ川にある。 滝のある周辺地域は古くからヘルプを意味するヒャルプと呼ばれているが、昔のこと、ヴァトナヨークトルとホフツヨークトル二つの氷河の間を通る内陸ハイランドロード、スプレンギサンドゥルを馬で旅した旅人が長く辛い不毛の地の旅の途中に、馬を休ませ、一息つけるオアシスとして格好の場であったことに他ならない。実際、水が豊富で緑溢れる一帯だ。この辺りはショゥスアゥダールル渓谷の中ではどこでも同じだが、滝そのものはもちろん火山灰痕などに、かつての度重なるヘックラ火山噴火の痕跡がはっきり見て取られる。ショゥスアゥ河には1969年に建設された水力発電所があるが滝はその反対側にある。

ヘックラ火山 Hekla
 
レイキャヴィークから東へ120Kmの位置に聳える世界でも最も有名な火山のひとつ。標高1491メートル、その山稜の長さは約40qに達する。

地質学者によればヘックラは6千〜7年前に誕生し活火山としての活動は今後ほぼ10万年は続くという。過去7千年の間にヘックラは5回の大割れ目噴火を起こしている。最大規模のものは4000年前と2800年前の噴火で、北部と北西部の土壌の中に往時の痕跡が残っている。特に2800年前の噴火では国土のほぼ80%が火山灰で覆い尽くされ、その量は約12立方qという膨大なものだった。その痕跡は遥か離れたスカンジナビア諸国の随所でも見つけられている。

ショゥルスアゥルダールル渓谷の居住地やもっと内陸よりの地域を含む広範囲を壊滅させた1104年の有史(記録に残っている)最初の大噴火以来、ヘックラは少なくとも20回も噴火し、加えて、ヘックラの山附近でもおよそ25回の小さな噴火を繰り返し、近郊の村落に計り知れないほど多大なる損害を与え続けてきた。ヘックラ火山と黄金の滝グトルフォスの間にはこの大噴火で廃墟と化した中世の農場の遺跡が発掘されており、火山と考古学に関心のある人にとっては興味深い所だ。

14世紀(1300年)の噴火は山をふたつに割るほど大きなもので、噴火の轟き音はアイスランドの北部地帯でも聞こえ、柱状噴出や火山灰で辺りは真っ暗になったと記録にはある。多くのファームは崩壊し、凶作で多くの人々を死に至らしめた飢饉がその後続くことになる。この噴火は丸1年続いた。1510年の噴火では、とんでもなく遠方まで噴出物を飛び放ち、45kmも離れたところまで重い岩石が飛び散り、周辺に致命的な災害をもたらしている。

1510年の噴火では、とんでもなく遠方まで噴出物を飛び放ち、45kmも離れたところまで重い岩石が飛び散り、周辺に致命的な災害をもたらしている。1693年の大噴火の際には一気に14のクレーターが同時に噴火し、50のファームを壊滅状態にした。1766年には更に大きな噴火が発生し、何度かの小休止があったものの2年間も噴火し続け、このときは18ものクレーターが同時に噴火している。1845年の噴火は7ヶ月続いている。

1693年の大噴火の際には一気に14のクレーターが同時に噴火し、50のファームを壊滅状態にした。1766年には更に大きな噴火が発生し、何度かの小休止があったものの2年間も噴火し続け、このときは18ものクレーターが同時に噴火している。1845年の噴火は7ヶ月続いている。

 1947年3月の噴火では、その始まりごろには噴火煙が上空30,000mまで達したほどで、溶岩流は40㎢を覆い尽くした。この時の噴火は13か月も続くものだった。この噴火では柱状噴流が30kmの高さまで達し、40平方kmの広さの土地を被い尽くすほど大量のおよそ1立方kmのテフラ(火砕物)を産出している。1970年の噴火は小規模なものだったが、中央高原地帯の牧草地に甚大なる被害を与え、フッ化物中毒ももたらしている。

1991年5月には、ヘックラの無数の小クレーターが噴火し、2ヶ月もの間溶岩を流出し続けた。ヘックラ火山のその後の噴火は,1980年、1981年、1991年、2000年と続く。

最近では2001年2月26日18時頃に始まった噴火。同日の夜半には、山頂に沿って6−7キロの亀裂が走リ、円柱状になった水蒸気(柱状噴流)が高度15キロの高さまで立ち込め、火山灰はアイスランドで最も北に位置するグリームスエイにまで達していることが確認された。活動のピークは1時間ほどであったが、噴火はその後も継続し、溶岩はクレーターから流出し、一本の荘厳な真っ赤な川となって東側の斜面を流れ落ち、噴火後1時間を経たころには溶岩流は周辺の低地帯に達し、かなり大量の溶岩が産出された。

この噴火はその当初は1991年の噴火に極めて似た活動状況を示しているかに見えたが、噴火が始まった翌日にも割れ目の南東寄りの部分は活発に噴火し、溶岩を流出し続け、その支流のひとつは南西にまで流れ出た。溶岩は幅の広い川状になって1970年の噴火で創出された溶岩原スキョルクヴィアルSkjölkviarの方向にある北西の段部に向かって流れ出た。噴火開始日、柱状噴流は北に向かっていたが、翌日にはミールダルスヨークトル氷河を越えて南南東に向かって海にまで運ばれた。噴火3日目になっても、噴火のエネルギーは最高時の95%のパワーを維持していた。その後、噴火による柱状噴流は南東寄りに延び、細かな粉塵状の火山灰は北西部のヴァトンスネス半島のスヴァルヴァルズSvalbarðでも認められている。この噴火は公式には同年の3月8日に終焉した。

噴火の翌日2月27日に上空を飛行した沿岸警備隊員により、新たに生まれた熔岩は最長で3−4キロの長さで周辺を覆ったことが確認された。ヘックラ山は申すべくもなくアイスランドで最も知られている火山だ。火山学者は活動が開始する前に−しかも30分以上もの充分な余裕をもって−噴火の警告をした初めてのケースとなった。過去十数回の噴火を繰り返し、近年においても1970年以降にほぼ10年おきに3回(1970、1980,1991)も噴火した。しかし、これらの3回の噴火かなり規模も小さいもの。ほぼ周期通りに9年ぶりのものとなる今回の噴火も活動は継続するものの規模的には小さいと観測されている。

昔からヨーロッパの世界では、地球には地獄への入り口がふたつあり、ヘックラはそのひとつだと信じられてきた。火山にまつわっては多くの突飛で恐ろしく、怖い言い伝えが残っており、この所為でこのヘックラには誰も登ろうとはしなかった。この山への登頂が2人の植物学者によってはじめて試みられたのは1750年のこと。彼らは伝説にあるような地獄への入り口などもちろん発見できず、その後は多くの人々が登頂するようになった。ヘックラへ登頂する一番楽なルートは山の北側からのもので、晴れた日、頂上付近からの眺望は唯々信じがたいほどの素晴らしさだ。

1947年3月の噴火では、その始まりごろには噴火煙が上空30,000mまで達したほどで、溶岩流は40㎢を覆い尽くした。この時の噴火は13か月も続くものだった。1991年5月には、ヘクラの無数の小クレーターが噴火し、2ヶ月もの間溶岩を流出し続けた。ヘクラ火山のその後の噴火は,1980年、1981年、1991年、2000年と続く。

最近では2001年2月26日18時頃に始まった噴火。同日の夜半には、山頂に沿って6−7キロの亀裂が走リ、円柱状になった水蒸気が15キロの高さまで立ち込め、火山灰はアイスランドで最も北に位置するグリームスエイにまで達していることが確認された。活動のピークは1時間ほどであったが、噴火はその後も継続し、熔岩一本の荘厳な川となって活動しクレーターから東向か流れた。翌2月27日に上空を飛行した沿岸警備隊員により、新たに生まれた熔岩は最長で3−4キロの長さで周辺を覆ったことが確認された。ヘックラ山は申すべくもなくアイスランドで最も知られている火山だ。科学者が活動が開始する前に−しかも30分以上もの充分な余裕をもって−噴火の警告をした初めてのケースとなった。過去十数回の噴火を繰り返し、近年においても1970年以降にほぼ10年おきに3回(1970、1980,1991)も噴火した。しかし、これらの3回の噴火かなり規模も小さいもの。ほぼ周期通りに9年ぶりのものとなる今回の噴火も活動は継続するものの規模的には小さいと観測されている。

 

★ランドマンナロイガル Landmannalaugar

陸部に入ったフィヤットラバク自然保護区にあり、まさに活発に活動している地熱地帯。含有する鉱物により黄金色、緑そして深紅など色鮮やかな山並みに囲まれたオアシス。多くの温泉と冷たい湧き水が混じりあって温かい温泉川をなしている。丁度良い湯加減の温度であるため、露天風呂も楽しめる。温泉川の土手は湿地状態で水面の上昇を抑える緩衝緑地帯となってここへの踏み込みは禁止されていて、温泉を楽しむ時には板道を通ってプールに入る事。また、温泉川(プール)での石鹸の使用は禁止されているので注意。海抜が600mを超えているものの、川の土手は草花で覆われている(夏季)。トレッキングにも最適。

ランドマンナロイガルはカラフルな流紋岩の山々に囲まれキャンプ施設があって、アイスランド・ツーリングクラブが運営するハットがあり、スリーピングバッグ用の宿泊施設もある。キャンプ場の中にあり、トイレ、シャワー施設、温泉ポット、BBQ用クッキング施設が整っている快適な山小屋、マウンテンハットはここの名物温泉川とは目と鼻の先。マウンテンハットのある側は高く急斜面のロイガフロイン溶岩原。溶岩面はギザギザとして鋭いが、迷路のように入り組んだ小道になって散歩道になっているので時間の余裕があればハイキングを兼ねて歩いてみたい。遠くから見ると溶岩は黒く見えるが近づいて見ればその幾つかは鮮やかな濃いブルーカラーを呈している。これは天然のガラスとも云われる黒曜石。溶岩に大きな割れ目を見かけるが雨で濡れているときなどはかなり危険。溶岩原からは熱い温泉が流れていて、冷たい川水と混じってちょうどいい湯加減の温泉川となっている。天然の温泉川として近年すっかり知られる存在となっているので水着着用で是非トライを。ランドマンナロイガルは人の土地の温泉を意味する。

写真提供:東京都在住、岩井早矢香さん2005年7月撮影)

 

 

 

★エルドギャゥ Eldgjá

「火の山峡」を意味する息をのむような光景に出会える長い噴火による割れ目(亀裂)。断層のすぐ南に位置する標高812mの凝灰岩の山ヘルズブレイズ(Herðbreið)からエルドギャゥの眺望は絶景。割れ目ギャゥの主要部分は北の一帯で、中心部は道を挟んで反対側の一帯となる。エルドギャゥは935年に噴火が始まり3−8年続いた噴火割れ目で、19.6立方`もの大量の溶岩を流出させた。有史以来世界最大の玄武岩質溶岩流噴火である。噴火により219Mtもの二酸化硫黄を大気中に放出させたと推測されている。割れ目はミールダルスヨークトル氷河(ýrdalsjökull)からギャゥティンドゥル山(Gjátindurまで、南西と北東の方向に30kmも続いている。北の端附近は幅600m、深さ200mもあり最も印象に残るギャゥとなっており、その変化に富んだ光景は畏怖心を起こさせるほど。割れ目は多くの箇所で分断され、ところどころで途切れているがそのいろんな箇所で溶岩や火山物質を産出してきた。ヘルズブレイズ山とミールダルスヨークトル氷河の中間点に当る最も南寄り一帯の溶岩はアイスランドへの定住が始まったころ(870年頃)のもの。また、北部と中央部のものは700年ごろの噴火によるものでスカ二タアゥ渓谷に大量の溶岩を流し込んだ。割れ目の幾つかはミールダルスヨークトル氷河の氷冠や1783〜84年に噴火したラーキの溶岩流によって蔽い隠されている。

エルドギャゥには北オゥファイラ(Nyrðri−Óæra)と南オゥファイラ(Syðri−Óæra)の二つの川が流れていて、北オゥファイラ川は二つの印象深い瀑布となって割れ目に流れ込んでいる。オゥファイルフォスÓærufoss)の滝は珍しい二重滝で下部の滝の上部に緩やかにカーブしているアーチ状の天然の橋が架かっており、この橋の部分は玄武岩で、溶岩縁から流れ落ちる川によって軟らかい岩が洗い流されてできたもの。

ラーカギーガル Lakagígar
 ラーキ山にある長さ27kmにも達する雁行断層で、岩滓(がんし)丘、溶岩塔そして凝灰岩火山錐が連続して見事なほどに整然と平行して並ぶクレーター群。クレーターの数は約120個でその高さはほとんどが40mから70mである。1783〜84年の噴火により誕生した。ラーキの噴火は1783年6月8日に始まったが、その前兆としての大きな地震が噴火前1週間に亘って続いた。ほぼ8ヶ月後の1784年2月に噴火は収まったが、ラーカギーガルはこの1783〜84年の噴火により誕生した。噴火が始まった当初は溶岩の流出量は1秒当り5000立方メートルに達し、スカフタアゥ渓谷を深さ200mも埋め尽くし、青みがかった粉塵が靄となって全土を覆い尽くした。 14.731立方`もの玄武岩質溶岩を噴出させ、565平方`メートルもの誇大な地域を蔽い尽した。935年のエルドギャゥに次いで世界で2番目の玄武岩質溶岩流噴火である。

ラーキの噴火はそれにより大気圏に及ぼした影響についても良く知られるところである。噴火の対流的噴煙によってガスは高度15000メートルまで達し、北半球の気温を低下させるエアロゾルをつくり出した。この冷却作用は火山が引き起こしたものとしては有史最大のものであった。アイスランドでは煙霧によってフッ素で汚染された草を食べた家畜の多くを失ない、酸性雨で収穫がほとんどできず、飢餓によって往時の住民の1/4に当る9000人が死亡した。火山灰は噴出した物質の中では僅か2.6%に過ぎなかったが、灰は遠くヨーロッパ本土にも降り注ぎ農業などに大きな影響を及ぼしている。

現在、ラーキ山は活動を中止しているが、クレーターの底の部分では尚、蒸気を噴き出させている。ラーキ山を訪れるには4WDが必要。夏の期間のみ、キルキュバイヤルクロイストゥルからツアーが催行されている。

エルドフロイン Eldhraun

1783〜84年のラーキ噴火がもたらした広大な溶岩原でその意味は火の溶岩。300億トンの溶岩とその3倍もの硫酸が、所謂”スカフタフェットルの火”から噴出された。村全体が溶岩流で壊滅されただけではなく、雲状の有毒ガスが天を覆い、当時のアイスランドの人口49,000人の1/4に当る12,000人と家畜のほぼ半分を失った。流出した溶岩は、スカフタゥレルダフロインの大溶岩平原を誕生させた。その面積は565平方キロメートル、単一の噴火によって流出した溶岩として世界最大と云われる。

★キルキュバイヤルクロイストゥル  Kirkjubæjarklaustur

ヴィークから1号線を北東に71Km行ったところにある。1186年にアイルランド人司教が初めて住み着き、当時の修道院が今に残る歴史的に由緒ある美しい町 で昔は単に「教会農場」を意味するクロイストゥルKlausturと称され、重要な農地であった。シストラスターピ(シスターの岩)、シストラフォス(シスターの滝)、シストラヴァトン(シスターの湖)などの地名に修道院時代の名残りがある。ミールダルスヨークトル氷河とヴァトナヨークトル氷河のちょうど真ん中に位置している。この辺りは1783年のラーキ山の噴火により、溶岩や氷河を溶かした土石流がスカフタアゥ川を伝わって流れ込み、当時のアイスランドの総人口5万人の四分の一もの人々が犠牲になった所でもある。現在は、大自然美が堪能できる一大リゾート地となっていて、通年オープンのホテルや夏季開業のファーム・ホリデイもある。キルキュゴゥルフ(教会の廊下)と呼ばれる玄武岩柱の集合体はきわめて珍しいもの。

★ヌープススタズゥル úpsstaður
キルキュバイヤルクロイストゥルとスカフタフェットルのほぼ中間に位置し古い教会農園が残る村。この農場はかって、砂漠や湖を馬で縦断する旅人がガイドを集める場所でもあった。17世紀の小さな芝土造りのチャペルが残っている。農場と牧草地には昔のアイスランド人が機械化される前に生活し、働いた古い時代の光景が広がっている。農場は広大でグライナロゥン湖に近いエイストラフャットル山の麓の厚い潅木地帯のヌープススタザルスコゥグルまで続いている。

★ドヴェルグハムラール Dverghamrar
キルキュバイヤルクロイストゥルの近く、リング・ロードから少し海側に降りたところの農場フォスのすぐ東にある、馬蹄形をした一風変わったツインの円柱状の玄武岩質クリフ。通称、小人クリフと呼ばれている。

★キュルキュゴゥルフ Kirkjugólf
キュルキュバイャルクロイストゥル近くのユニークな形状の岩石。かつてはその名前から判るように、古代教会の床だったと考えられていた。地質学者は円柱状の玄武岩群の頭の部分と見ている。海の波が洗い流し、タイル貼りの床のような状態を作り出したと云う訳だ。

★アゥルフタヴェル Álftaver
ミールダルスサンドゥル砂原とクーザフリョゥト河間の平地。内陸部は広大な擬似クレーター群になっている。この地帯はカトラ火山の氷河底噴火の際、洪水により大惨事をもたらされた。

★ロゥマグヌープル ómagnúpur    
砂漠地帯スケイザラゥルサンドゥルの西の最先端に聳える高さ688mの印象的な大絶壁。内陸部のクリフとしては最も垂直に近いもの。

★スカフタフェットル国立公園 Skaftafell

ヴァトナヨークトル河の南西地域に位置、1956年、アイスランドで初めて指定された3つの国立公園のひとつで、シンクヴェトリル国立公園に次ぐ大きさでその面積は1,600 sq km。ヨーロッパ最大の氷河の南部のヘリにある、3つの渓谷氷河(スケイザルアゥルヨークトル、モルスアゥルヨークトルそしてスカフタフェットルスヨークトル)も公園の一部だ。ここは又、ニャーゥルのサガに叙述されているが、古代の議会が開催された由緒ある地でもあり、自然の織りなす傑作ともいえる一帯。高く聳える山々、堂々たる氷河、清流の小川が流れる峡谷、美しい滝、樺の森林、野花や植物の群生などに心が奪われる。

 

★スヴァルティフォス Svartifoss

黒い滝を意味する規則正しく堆積された地層を華麗に流れ落ちる滝。パイプオルガンを思い起こさせるようなシンメトリーの柱上の玄武岩壁を急勾配に突き落ちる威風堂々とした  

 


Revised:10/05/06