南アイスランド1map

●ウエストマン諸島
 アイスランド本土南海岸の沖合に位置する火山の島々「ヴェストマンナエイヤル=ウエストマン諸島(西洋人の群島の意味)(Vestmannaeyjar)は、15の島と30以上もの小島や岩礁からなる群島。
 この諸島の歴史は、別名“生存の歴史”と言われるほど激しいものだったことが、最近の発掘調査で明らかにされている。1973年1月23日、人が住む唯いつの島ヘイマエイ東部に始まった火山噴火は100戸以上の民家を破壊し、地表を灰や溶岩で覆いつくした。幸運にも約5800人の島民たちは本島に避難し、幸運にも死傷者を1人も出すことはなかった。その後、島をあげての復旧活動により、以前と変わらない美しい町へと復興をとげ、現在では繁栄する港町としてアイスランド最大の漁獲量を誇っている。1973年の噴火で形成された島の東部の新しいクレーター周辺の溶岩台地はまだ暖かい火山灰や地中から噴き出している蒸気と湯煙を見ることができる。島の西部は島内最大の海鳥の棲息地でパフィン(ヒメツノメドリ)をはじめ夥しい数のバードライフが観察できる。
 この島を訪れるには日帰りで充分だが、ボートツアーは是非、体験してみたい。ボートに乗って切り立つ断崖絶壁に巣くう無数の海鳥や洞窟を約2時間ににわたって鑑賞。洞窟の中までセーリングし、野鳥の巣のほんの2~3mまで近寄る。
 ヘイマエイへはエア・アイスランド(空路25分)、またはソゥルラゥクスホプン(Þorlákshöfn)からカーフェリーを利用する(所要1時間45分)。

ヘイマエイ島 Heimaey

 レイキャヴィークより空路25分、南海岸の沖合10Kmに浮かぶウエストマン諸島で唯一人が住む島で、人口4036人(2008年1月)。ヴェストマンナエイヤルの歴史はヴィーキングの最初の殖民が始まる874年に先立つ。考古学者によって紀元800年頃にノルウエー人と思われる渡来人によって建てられた住居跡がヘルヨゥルブルダルール渓谷周辺で発見されている。群島の名前の由来は、一般的には、「西洋から来たアイルランドの修道士が最初に定住した島」だから「西洋人の群島」と名称されたといわれている。群島は全部で15の島々で形成されており、これらの島々と夥しい数の岩礁は過去数千年に亘る海底火山爆発による。
 ヘイマエイ島にはアイスランド最大の漁獲量を誇る天然港があり、あちらこちらに壮観な景色が見られる。島民たちは最初の移住者の時代よりずっと海と共存してきた。島は完璧な自然港に恵まれ、ヒメツノメドリ、フルマカモメ、ウミガラスなど無数の海鳥も棲息している。高く聳える絶壁がこの島の生活に繁栄をもたらす2つの要素となっている。島の人々は今でも、崖の突起した岩から岩へ、巧妙にひょいひょい跳びはね、崖の頂上にいるアンカーマンと呼ばれる人によって支えられた命綱を頼りに卵を採る。絶壁に棲息する無数の海鳥によってバードウォッチングのメッカとなっているため、数多くの観光客がこの島を訪れる。

 もともと火山帯で、北東の方角にアイスランドを横切って走っている火山活動ベルトの上に位置しているために、ごく最近にも2回の大爆発があった。最も若い島は1963年~1967年に続いた海底火山の突然の噴火では新島スルスエイ(Surtsey)を誕生させ、そして1973年1月に起きたへイマエイの大爆発はウエストマン諸島を世界的に有名にした。このときの噴火では、町はずれの住居地域を横切って大きな亀裂が生じ、溶岩が住宅地に迫り、火山灰が町一面を覆い始めた時、5千人の全島民が本島に疎開した。一人の生命も失う事がなかったが、町の全家屋(1200軒)のうちほぼ400軒がこのときに新しく生まれた火山エルドフェットル(火の山)から流出した溶岩によって焼失し、噴火が最終的に鎮まった何か月後には、町のほぼ半分が溶岩と火山灰ですっぽり覆われ、「現代版ポンペイ」として世界的に有名になった。この噴火はこの年の7月3日になってやっと治まった。島民たちの精力的な努力で、復旧活動が行なわれ、全地域が元の光景と同じように美化され、現在では繁栄する港町として美しい景観を呈し、当時の大噴火の痕跡と共に観光客を魅了している。
 ヘイマエイの面積は13.4Km。周囲は豊かな漁場となっておりアイスランド全体の輸出量の12%がここで水揚げされる。
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スルスエイ島 Surtsey

 海底噴火は沿岸部沖合で、特にレイキャネース半島の南西部の海嶺で時々起きる。近年の海底噴火は、1963年11月14日に 漁に従事していた漁師により、ヘイマエイ島の南西20kmの地点で130mの深さで発生した海底火山噴火を肉眼で観測され、3つの新島を誕生させた。その内の一つが残って、スルスエイ島( 最大時約2.4平方キロメートル)と命名された。
 950年ごろのアイスランド・ヴァイキングの詩集「ヴォールスパゥ」に「スルトゥル=北欧神話中の火の神が南の方からやってくる。天から熱い星群が渦を巻きながら舞い降りる。水蒸気とあおり立つ炎が猛烈な勢いで増大し 荒れ募り、燃え上がった炎は天まで高く上昇する」という一節が残っている。  この火の神スルトゥルに因んで命名されたスルスエイは世界で最も新しく誕生した島ということばかりではなく、その誕生の様子が撮影され、成長の過程が調査研究された極めて貴重な島だ。ヘイマエイ島の南西188kmの海水を突然隆起させて噴火を始めた1963年以来、島の成長や形成の過程は監視され続けられ、新島がどのように進化していくのかについて多大なる見識や情報を科学者にもたらしてきた。噴火は2年以上に及び、植物発生や鳥類の棲息の始まりなどをテーマに世界中の多くの科学者の関心を喚んだ。
 最初の噴火が起こった時、真直ぐに立ち上る火山灰 はおよそ9146mの上空に達し、晴れて澄んだ 日には遠くレイキャヴィークからもはっきり見て取れた。スルスエイが島として誕生するまではほぼ4年間を要した。噴火はたびたび繰り返され1967年になって島は海抜150m、面積は約3平方kmまでに成長した。波立つ海の所為で、最初からかなりの侵食が進んだが、島の中心核は急速に凝固し岩石となり、島として形成された。
 この島に入ることは厳しく制限されており、科学的な調査や研究を目的にした科学者のみが上陸が許されている。この原始的とも云える自然の生ける実験所での科学者による調査や研究が開始されたのは海底噴火が始まり、新島の誕生が確認された年の翌年に当たる1964年のこと。 その後も、科学者たちは定期的に島を訪れ、植物や動物の生命がどのように成長するのかの観察を続けた。海流によって運ばれてきた種や水生菌、バクテリアや糸状菌を観察されたが、最初の10年間で10種類がその対象となった。生物の研究のために毎年生物学の専門家チームがスルスエイ島に上陸するが2004年夏の上陸調査では初めてパフィン(ツノメドリ)が生息を開始したのが確認された。2004年までに60の植物体、75もの苔植物類、71の子嚢菌類そして24種糸状菌の存在が確認されている。鳥類は89種が確認されており、その内57種はアイスランドのいずれかで営巣し、繁殖しているものだ。僅か2.4平方キロメートルの島は今や335種もの無脊椎動物の生息地になっている。
 最大時にあった島の総面積2.4平方キロメートルは次第に波に浸食され今では1.5平方キロメートルに縮小している。

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ヘイマエイ島とパフィンの巣立ち

 ヘイマエイ島の西部は島内最大の海鳥の棲息地でパフィン(ヒメツノメドリ)をはじめ、夥しい数の海鳥が営巣している。特に、パフィンは島全体で700万もの巣があるといわれている。
 パフィンはクリフの壁面の巣穴で産卵し子育てをする。パフィンの繁殖期はもちろん夏だがが、8月になると親鳥は幼鳥に餌を与えなくなり、子供のひとり立ちの準備に入りり、その結果餌をもらえずお腹を空かした幼鳥は餌を求めて巣を離れ、翼を広げ、すべり降りながら海に向かって飛び立っていく。これがパフィンの巣立ち。パフィンの幼鳥は月明かりを頼りに飛び立つ故に巣立ちは必然的に夜になってからとなる。
 巣立ちを夜になって始めるパフィンの幼鳥に実は悲劇が襲うことになる。夜の町明かりに惑わされたパフィンの幼鳥は海とは反対の町に飛び立ち、アスファルト舗装された硬い道路や舗道、真っ暗な庭に降り立つ。その結果、車に轢かれたり、潜んでいる猫の餌食になったりするなど、幼いパフィンの幼鳥が危険がいっぱいのアスファルト・ジャングルで生き延びる術はまったくない。
 そこでヘイマエイ島の人々は町をあげて悲劇に遭遇したパフィンの幼鳥に救いの手を差し のべる。特に、島の子供たちは一生懸命。子供たちは海に向かって飛び立つ代わりに町中に迷い込んでしまったパフィンの幼鳥の捜索と救出のための救助隊を編成して大活躍するのだ。8月のこの時期、親たちはこの活動のために子供らが夜遅く出かけるのを許可するのだ。みんな段ボール箱と懐中電灯を持って街中を歩き回って餌を求めて迷い込んだ幼鳥を拾い集めて回る。子供一人で一晩で十羽以上を集めることも珍しいことではない。集められたパフィンの幼鳥は民家や車庫に用意された箱で一晩保護され、翌朝、浜辺に連れて行かれて海に向かって一羽一羽空高く放されるのだ。 こうした子供たちのパフィン救助活動はこの島では代々に亘って続けられてきているもので、数百羽ものパフィンが子供たちによって海に向かって放される光景はひと夏の終わりを告げる伝統とも云える風物詩となっている。
 ヘイマエイ島では食物源としてパフィンの捕獲が認められている。捕獲期間は7月1日から8月15日までに限定されており、この捕獲期間が終了すると子供たちのパフィン幼鳥の救済のためのパトロール活動が始まる。

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